終了時刻(昔の話)

浜松凧揚祭研究会

2014年03月09日 14:46

ここのところ、終了時刻のことで関係者は揺れております。


 「新聞で23時まで延長したい」とする方針、およびこの方針で要望していく、という記事が掲載されたのが1月25日(土)付の『中日新聞』。
http://takoken.hamazo.tv/e5130671.html(2月11日)
http://takoken.hamazo.tv/e5180661.html(3月6日)


 それから約1ヶ月半が過ぎております。

 そうしているうちに、そろそろ各組とも、当日の交通規制について、「道路使用許可申請」を作成する時期になりました。

 これは、各組が所定の様式にしたがって、凧揚部(企画統制監理部)を通じて警察署へ提出するものです。


 ところで、上記手続きに直接の参考にはなりませんが、歴史研究の過程で見つけた資料に、戦前の凧まつりの様子が覗い知れるものがありましたのでご紹介します。


小池誠二著「凧揚げ会の前後」(浜松史跡調査顕彰会専門委員会編『遠江』5号、1981年8月)

 これは、戦前の浅田町の凧まつりの体験をのちに著したものです。1930(昭和5)年頃の浅田町の凧まつりの様子が克明に描かれており、たいへんに興味深いものです。

 準備段階から始まって、練兵場、屋台、初練り、片付けまでの様子が描かれております。

 その中から抜粋。上記『遠江』5号の49-50ページの一部です。


 戦後の好景気や「豊かさ」の中で終了時刻も遅くなっていったのかなぁと、そういう推論も成り立つかもしれない、ホントはもっと早く終わっていたのかもしれない、とも思ってしまいますが、これを見る限り、終了時刻についてだけいえば、当時も現代もあまり変わっていないようですね。


 「伝統的にそういうものだ」という主張の根拠の一つにはなりそうです。





         (善)

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