謹んでご冥福を

浜松凧揚祭研究会

2012年08月26日 23:23

私の友人であり、当研究会の第1期メンバーであるT氏。そのお父様・竹内俊介さんが急逝されました。


 T氏とは古い付き合いで1992年5月3日に顔を合わせたのが最初ですから、丸20年。

 そのお父様である故人は、ご夫婦で音楽家。浜松で長年活動しているジャズミュージシャンでありました。1975年に新町の組長もされています。


 五日間時代・練兵場時代からの凧を経験されていて、当時の体験をよく聞かせていただいたものでした。


 職業が音楽家なだけに、常識にとらわれることのない発想の持ち主でもあります。そして人間個人の感性というものを、とても大事にされている方でした。まさに芸術家ならではです。


 今でも忘れられない言葉があります。


 東地区の区画整理事業の真っただ中、私の町内では、世帯数激減により、凧まつり存続そのものが危ぶまれた2001年。
 「町内として凧をやめる」という選択肢が提示されてしまいました。その事情を故人にお話したことがありました。


 事情を聞いた故人の一言。
 
 「おッ、アンタここで怒らにゃ怒る時ン無いに」


 「凧まつりをやめなきゃいけない」などと考えたくはありませんでした。モチロン、どんなに小さな町内になっても続けていきたいと思っていました。それだけに、当時学生であった私には、町内の上の方から降りてきた「廃絶か存続か」の議論が出てしまった事は、とても辛い状況でした。


 いわゆる「常識的な」オトナの判断としては、「上が言うことには従わにゃいかん」 という言い方も出来てしまうでしょう。


 でも故人は間違ってもそんなことを言う人ではありませんでした。

 「ここで怒らにゃ怒る時は無い」。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、当時若輩だった私には、ホントに力強い言葉でした。

 周りや年長者との軋轢を考えると、自分が間違っているかも・・・と思ってしまいがちですからね。ポンと背中を押されたといいますか。


 ご本人にしてみれば、そんなことを私に言ったことも覚えていないかもしれません。

 要するに「自己表現とはそういうもんだ」という日常的な持論の中で出てきた一言なんだろうと思います。最高の演奏とは何か ということを常に考えている人でしたからね。



 この言葉は、私の脳裏にしっかり刻まれていました。

 昨年の震災・浜松まつり中止・凧揚禁止の状況下で意気消沈していた時。
 それこそ「自粛ムード」の「空気」の中で、世間話ではヒハンしても表立って「一方的な中止」に抗議する人はいない中、私らは「中止を考える会」を思い立って企画したわけですが、この時も同様に私の背中を押してくれたのでした。

 あの「中止」に一矢報いることができたのも、故人の言葉に支えられたところが少なからずあったように思います。



 実に惜しい方を亡くしてしまいました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。




             (善)


 HP「竹内晴美の世界」
http://homepage2.nifty.com/cwo/

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