ワタクシ、こんな活動をしてしまうだけあって(今年はほとんど活動していませんが)、若いころからこの祭に言いたいことがありました。
2011年の「中止」の際に指摘しました。
まず「行事構成」がヘンなんだ、と。
どういうことか。
「浜松まつり」は20近くある行事群のことです。
凧揚げ・屋台引き回し・吹奏楽パレード・郷土芸能・土産品まつり・ミス浜松コンテスト・民謡総踊り・・・。
http://hamamatsu-daisuki.net/matsuri/plaza/
(コチラをご覧になるとわかります。「浜松まつりHP」)
各町内は、そのうちの2つ「凧揚げ」「屋台」に「参加している」、と表現されます。
でもね。
各町内で回覧されるスケジュールをご覧いただければよいのですが。
「◆◆町◆組 日程」となっているはずです。予算を見ても「◆◆町◆組凧揚会 会計報告」などとなっているはず。
そしてそのスケジュールでは、前夜祭・祈願祭に始まって凧合戦・屋台・初練りまで、一連の行事として「◆◆町のまつり」が執り行われているはずなんですね。
でも、凧も屋台も単独の町では成り立たない。
なぜか。
それは「凧合戦」という行為が示すように、町と町(組と組)の「競い合い」の要素が強いからです。一町で凧を揚げに行っても面白くないでしょ。
屋台だって法被だって凧印だって、あんなに美しく凝ったものを作ってきたのは、「よその町とは違うぞっ」という、比較の中で生まれる自意識が根底にあるからです。
だから、自分のところと凧印が似ている町のことは、潜在的に意識していたりもするんですね。
(東菅原町の人は旅籠町の凧を意識しないはずがないのであります。八幡町と肴町とか。砂山町と高町とか。富吉町と松江町とか。海老塚町と紺屋町とか。)
こんな感じ。
(上から・・・)
東菅原町・旅籠町
八幡町 ・ 肴町
砂山町 ・ 高町
富吉町 ・松江町
海老塚町・紺屋町
【写真出典】
文書サービス編『浜松凧あげまつり』静岡出版1984年
パンフレット『82浜松まつり』1982年
似ているからこそ「違うんだぞ」という差異を強調したくなる。そしてそこが面白い。
つまり、基本的には各町内ごとに成り立っている。
そして、競い合う「場」があってこそ原動力になる。
すると、各町内の「凧揚祭」、全体としての「浜松凧揚祭」、という理解をせざるを得ないの。
だから、もし現状の20近くある行事群と共に「浜松まつり」の中で凧や屋台をやるのなら。
「浜松まつり」の中の「浜松凧揚祭」とすれば、実際の姿と一致してくるのであります。
そうなると、組織のありかたも、道筋が見えてこようというものであります。
(善)