凧揚げまつりを解説してみた

浜松凧揚祭研究会

2025年04月13日 18:29

たいへん御無沙汰しております。







 東日本の地震のあと、その年が中止(平成23年)。




 そして、新型コロナウイルスが世界的に蔓延しているということにされて、その年も中止(令和2年)。




 翌令和3年、4年と縮小開催。




 これらばかりではありませんが。




 いろんな事が絡まって。




 凧まつりを例年の通りにやる、ということが、




 たいへん困難に(それも年を追うごとに)なってきているように、私、思えてなりません。




 何をやるにも話が通じにくいなァと、感じることが多くなりました。













 浜松の凧揚げまつりってどんなまつりですか。




 という問いを投げかけられたらば、



 各組で担っている皆さまは、どのように解説しますか??



 「初子」(はつご)という言葉。

 そもそも凧まつりへの理解が乏しいマスコミによる造語だ!、と疑っている当研究会としては。



 以下のように説明してみたい。


 改訂するつもりで「第1版」としておきます。



【独自解説(第1版)】

 毎年5月3~5日に開催している、浜松の凧揚げまつり。

 現在は「浜松まつり」の「凧合戦」「屋台引き回し」として開催されております。

 各町内の印(しるし)が入った凧を揚げて、糸を切り合って勝負する、という、町内対抗の凧合戦のまつりです。

 同時に、端午の節句のお祝いとして、初節句の家へ町内から「初凧」を贈ります。

 各町内は初凧を含め10枚前後の凧を用意して、3日間の凧合戦に臨みます。


 千歳町の凧のマーク(凧じるし)は「天狗」。よって組名は「天狗連」。



 鍛冶町の凧じるしは「『か』に親子線」、組名は「か組」。



 紺屋町の凧じるしは「コ」、組名は「コ組」。




 こんな風に、各町内ごとに、(ちょうど世界各国の国旗のように)、凧じるしが決まっております。



 凧合戦終了後、夜は、各町内所有の屋台を中心部で曳きます。

 唐破風(からはふ)屋根が特徴的な屋台の美しさ、練りの威勢の良さを、市中心部を舞台に、競い合います。

 屋台のお囃子は、古くは花柳界の面々と各組青年が、戦後は各町内の子供連が、花柳界のお師匠さんの指導により、担っています。


 昼は凧合戦で競い合い、夜は屋台の意匠や美しさ、練りの人数や威勢の良さなどこれを競い合います。

 そして各町内へ戻ると、初節句の家から凧揚げのお礼として酒肴が振舞われます。「初練り」と言います。

 当年の「初」の軒数や振る舞い(接待)の豪華さも競い合いの対象になったりします。


 凧合戦だけではなく、各町内ごとの凧じるし、法被の図案、若い衆の人数、威勢の良さ、財力、初の軒数、屋台の美しさなど、あらゆるものが競い合いの対象となります。

 凧揚げまつりは「凧合戦を契機とした、浜松各町内の町内対抗戦のまつり」ということができます。


 明治10年代の凧合戦流行期の各町内消防組を契機となり、町内対抗戦として定着し、明治末期から大正初期にかけて祭礼的行事として浜松旧市内に定着した、近代地域文化の一つと位置づけられます。昭和5年には、天覧の栄に浴しました。


【独自解説終わり】



      (善)

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