その理由とは 凧案内1961
1961年の凧案内『浜松まつり』の内容に、屋台の紹介が凧に比べて多いですね、という指摘を前回しております。
屋台写真と併せて、行事案内が3回も掲載されている。
さらに、凧の写真が2枚だったのに対して屋台は8枚(7台分)。
板屋町と池町。
天神町と向宿町。
元城町と砂山町。
池町と海老塚町。
奥付の記載(既出)。
こちらの発行人。編集者や著者は掲載されていませんが、事実上この服部さんと考えてよさそう。
というのも、この方、1954年(昭和29年)に『屋台集 昭和29年度版』なるものを発行しております。
さらに1956年(昭和31年)には『浜松まつり 昭和三十一年版』の名で、事実上の屋台集を発行されております。
どちらも1ページに1台掲載。ですからページ数も多い。
特に『屋台集 昭和29年版』には、町名と屋台の写真の下に、棟梁と彫刻師を紹介しております。
この服部さん。
当時、続々と再建されつつあった屋台に、余程の思い入れがあったのだと思います。
さらにその屋台を生み出した職人も紹介しています。
宮大工棟梁と彫刻師を基本として、判っている範囲で金具師、塗師まで掲載されているページも。
その昭和31年版(1956年)以降に新築された屋台が、この1961年版に掲載されているというわけ。
それぞれ被写体となった屋台が新築落成された年代を確認すると、以下のとおり。
板屋町 1950年(s25)
天神町 1958年(s33)
向宿町 1959年(s34)
元城町 1960年(s35)
砂山町 1959年(s34)
海老塚町 1957年(s32)
戦後すぐの板屋町以外は、出来たての真新しい屋台だったというわけです。
屋台の紹介が多いのは。
つまり、刊行したその人が、屋台通であったことによるんじゃないか、と想像するわけです。
(善)
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