寂しくていかん

浜松凧揚祭研究会

2015年05月14日 00:49

本日、仕事中に。

 偶然ですが、お祭り好きの方と話す機会がありました。


 それも2名。


 1人目は昔から鍛冶町の法被を着ていらしゃるというご年配の女性。
 やっぱりおまつりはいいわね。あの雰囲気は代えがたいに。楽しくなっちゃうわ。
 てなもんでした。


 2人目は子供時代に5日間時代・練兵場時代を経験している男性。
 今は法被も来ていないが見に行くのは好きという方。鴨江町の人。

 あんな10時で終わられたら寂しくてしょんないね。昔は12時なんか当たり前だったに。
 松菱前なんかケンカして場所をとったもんだ。今はおとなしくてつまらんな。
 だいたいね、凧なんかもっとやらせにゃだめ。景気づけになって金も回る。そうでなくても浜松は元気がないんだからな。
 練兵場の頃はね、軽便(奥山線)に飛び乗って練兵場へ行った。砂だらけの握り飯2つと沢庵2つもらった。(以下略)

 と、ひとしきり。立ち話なのに20分以上。こちらはもっぱら合槌担当(珍しく)。



 違う時間、違うシーンで、1日にそんな話を2回も。


 やっぱり浜松だなぁと、と思っちゃうわけ。
 コレ浜松ならではの会話なわけ。


 浜松の浜松らしい瞬間は、大事にしにゃいかんのです。


 「10時」「10時」というが、昔っから10時で終った試しがないわけね。



 タテマエとしてしか存在しなかった規制をタテに、10時で終われというのは乱暴な議論。

 でも、法被を着ている衆の地元の人間の比率も下がっていて、その土地に責任のない一部のヤカラが地元ではできないような羽目の外し方をしていたり、威勢のいい掛け声ではなく、下品な大声をあげていたりとか、祭の質も変わりつつあったり。


 祭を外圧で縮小させるのではなく、祭を大事に育てることで、解決できることも多いはず。


 駆け引きではなく、本音のところで広く議論をしていく必要があるわけ。


         (善)





(追記)

 そうだそうだという方、遠慮なくコメントをどうぞ。

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