法被 戦前/戦後①

浜松凧揚祭研究会

2018年06月09日 21:26

法被の図案を保存しよう、という活動を(とぎれとぎれで)続けております。



 1990年代以降、法被の図案を改変する動きが盛んに。

 それは、「浜松らしい」法被が、そうでなくなっていく過程でもありました。

 「こりゃ残さにゃいかん」というのが動機。



 いろいろの方にお願いして、法被をお借りする中で、戦前から残されている貴重なものと遭遇する機会もありました。


 浜松は戦争で街そのものが焼かれています。

 したがって、戦前のもの自体が大変貴重なのであります。


 その戦前のものと戦後のものとを比較すると。

 戦前から戦後への、図案の変化のパターンは、大きく分けて2つあることが判明。


 1つは、同じ図案を踏襲しながらもちょいと型が変わっているもの。
 もう1つは、図案をガラリと変えているもの。


 共通しているのは、戦前のものの方が「手が込んでいる精緻な図案が多い」ということ。


 これがイコール戦後のものは手抜き、ということではなく。
 それはそれでスッキリした図案になっている、垢抜けした、という感じがするものが多いのですね。

まずは、鴨江町。


 左が戦前。右が戦後。

 こちらは「同じ図案を踏襲しながらもちょいと型が変わっている」グループ。


 戦前の方が古い、のは当たり前ですが。

 変体仮名の「か」の字の形が微妙に違いますね。

 戦後版には「かすり」が入っています。
 戦前版の方がもっちりした感じがします。

 そして腰。

 戦前版は「モ」が4つで菱形に。
 戦後版は「モ」が1つで菱形に。

 無理やり命名すると、「四つモの字菱」と「モの字菱」。


 つぎに色。

 地色。
 戦前版は藍染。戦後版は硫化染料の黒。


 腰の「モ」と「エ」の色。
 戦前版にはネズ(鼠色)が入っておりますが、戦後版は白抜き。


 つまり、戦前版は3色、戦後版は2色と、色数が違ってくるのであります。


 さらに衿の文字。


 左が戦前、右が戦後。

 どちらも「かも連」。

 その時の型屋さんなのか、型の文字を書いた人なのか。

 どちらも「浜松の法被の衿に合う文字」だと思います。

 ※「か」は変体仮名。
 字源は「可」。

「koin変体仮名」より作成。


 なんとなく。
 戦後の方がスッキリ落ち着いた感じ。
 戦前の方が迫力ある感じ。



   (善)


 変体仮名も普通に変換されるようにならんでしょうか。

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