2018年は
本年は、例年にもまして忙しく、当研究会の活動はほぼ皆無。
そんな中、唯一と言って良いのが戦前の法被との遭遇と保存。
市内某所の方から、下記2点をご提供いただきました。
新町の戦前の法被。
松江町の戦前の四つ身(子供用)の法被。
いずれも藍染でした。
子供連でも青年でも、現在の「黒」のルーツは藍染だったのだと、確信を深めてしまいます。
さて。
「浜松まつり」の名称は1950年(昭和25年)。
その年に発足した「浜松まつり本部」と戦前からの組織「浜松連合凧揚会本部」が以降20年間並立。
1970年(昭和45年)に連合凧揚会本部は解散し、「浜松まつり本部」傘下の「凧揚部」となりました。
2011年(平成23年)の「中止」を経て、
「浜松まつり本部」は「浜松まつり組織委員会」に、
「凧揚部」は「企画統制監理部」に、
それぞれ名称を変更しています。
つまり、現行の体制は、1970年に成立し、2012年に一部改変したもの、ということになりましょう。
「22時に終わる」とかなんとかの目先の課題もありますが、その根本の部分、本質についての議論が、もっと広く沸かなければいけないように思います。
一部ではそういう議論が始まりつつあるとも聞いています。
長い時間がかかるものとは思いますが、「あるべき姿」を共有できればと、心より思います。
明年は、もう少しだけ、こちらの活動にエネルギーを回せると良いのですが。
無理のない形で、時として無理をしつつ、頑張りますよ。
(善)
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