「初子」か「初」か

浜松凧揚祭研究会

2011年07月07日 02:28

検証・言葉シリーズ。


「初」という言葉は、初節句を迎えた家を言いますね。端午の節句を初めて迎えるから初節句。

 最初の女の子なら3月3日、上巳の節句、通称「桃の節句」。最初の男の子なら5月5日、端午の節句。


 昔は、初節句の祝いに、「ご近所になにがしかのものを振舞う」ということは、よくあったようです。それだけおめでたいことだったんでしょう。
 たとえば、長谷川町子の『サザエさん』にも、「いやァ、ご近所の初節句によばれてね」と繰り返すワカメが、実はおトソで酔っていた、という作品がありました(つまり近所の初節句で振舞いをうけたというわけ)。いつの年代の作品かは記憶していませんが、すくなくとも休載した1974年以前の作品には違いない。たしか桃のお節句のエピソードだったかと思います。

 鯉幟も、近所(村とか町内とか)の若い衆に手伝ってもらって、やっぱり振舞う。初凧も同じ。


 その、なにがしかの振舞いをする家のことを(あるいは家主のことを)「施主」と呼んだわけで。


 浜松の「凧」の話になりますが、「凧」の「初」は5月だから端午の節句。したがって「男の子が誕生して初めての5月を迎える家」が「初凧」を出すということになります。
 われわれの年代(私は1974年生れ)の後ぐらいまで、同じ年代でも兄貴がいる男子は初凧を揚げていない。

 「この子は初凧がない」というのは正確な表現ではない。というのも、そもそも「初」は「家」のお祝い事。突き詰めて考えると、「生れた子がおめでたい」のではなく「はじめての男の子が生まれた家がおめでたい」のであります。

 とくに長男は即ち「跡取り」という時代が長らくありましたが、「家」の継承者の誕生は、家のお祝い事だったのですね。それも資産家であればなおのこと。まさに一世一代。家産の継承者が生まれたとあれば、ご近所=町内は「そりゃァお祝いに行かにゃァ失礼にあたる」てなもんで、「おめでとうございます」となるわけですね。放っておくワケがない。「おめでとうございますっ!!」を強調すればするほど、振舞いも…(略)…というわけです。


 で、ここから本題。

 「初節句のお祝い」そのものや「初節句を迎える家」を総じて「初」と呼び、「初」で振舞いをだす家を「施主」とよび、出される凧を「初凧」といった。お祝いの対象は、「生れた子」というよりは「子が生まれた家」だった。「初」へ練りに行くことや「初」で練ることを「初練り」といった。

 ある時点で(新聞やテレビあたりだと推測しているのだが)、「凧」が取材されて紹介の文字やセリフに落とされるときに、書き手(記者かディレクターか)が、「初」のお祝いを、「家のお祝い」ではなく「子供の誕生祝い」とカンチガイした。お祝いの対象が「初節句を迎えた家」ではなく「生れた子」だと思い込んだ。
 その「お祝いの対象の子」を指す言葉が見当たらない、初祝いの対象だから「初子」か…と、意図してか意図せずにか判らないが、そう書いてしまった。

 つまり、「初子」は、「凧」(凧揚祭)をよく知らない人々による造語なのではないか。このように思うわけです。

                              (善)
 

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