歴史・5日間時代

浜松凧揚祭研究会

2012年07月26日 00:44

凧揚祭が5日間だったということを知っている人はもはや少数派かもしれません。



 5日間だったんですね。


 近年の報道では、「ゴールデンウィーク後半に開幕」とか言う表現で、あたかも、凧まつりがゴールデンウィークの期間を利用して開催しているかのような言い方をされます。


 ですが、歴史的にみればそれは間違い。


 この時期が大型連休化したのは、どうやら80年代以降のことらしいですね。


 正式に祝日であったのは、4月29日、5月3日、5月5日のみ。

 それも、5月3日と5日の祝日化は、戦後の話。

 なにを隠そう、憲法記念日は、戦後憲法施行の記念日ですからね。5日のこどもの日と同時に1948(昭和23)年から祝日になったそうです。


 4月29日が祝日になったのは戦前。昭和天皇の誕生日ですから、戦前は「天長節」として1927(昭和2)年から祝日でした。


 で、凧まつりが5日間とされたのは1910年代(明治末期)。

 この時代はもちろん、戦後のある時期までは、民間人は日曜でも働いていて、月に「公休日」は2日、という慣習だったと聞いております。

 長期の休みは正月の3日間と、盆の3日間のみだったと。


 そういう時代にですよ。凧の時は1日〜5日の5日間、バッチリ凧だったというのですから、それだけで浜松の街の迫力が伝わってきますね。

 まさに「盆と正月が一緒に来たような」嬉しさ、喜びがあったと言うわけです。



 これが否定されたのが1963(昭和38)年。この年から現在と同じ3日間に制限されたのでした。



               (善)




天長節制定後、最初の『凧案内』(1928年=昭和3年)

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