「なんでもあり」じゃいかんですよ

浜松凧揚祭研究会

2018年04月10日 00:09

随分とご無沙汰をしておりました。




 2018年、今年も各所で当日へ向けての準備が盛況。




 いろいろと「問題」ばかりが取りざたされがちな「浜松まつり」です。


 「まつり」というのはいろいろなものがあります。

 地域において、青年集団が中心となって担う「まつり」は、基本的には歴史的なもの。

 「歴史的な」とは、まつりを支えている基盤となっている社会が変容する以前から、時代を超えて続いている、という意味です。


 凧揚祭は、1980年代末の「バブル期」に発生したわけでも、1960年代の「高度経済成長期」に発生したわけでも、「戦後」に成立したわけでもありません。
 そういう意味で、凧揚祭は歴史的な行事です。



 当研究会としては、

「凧合戦」発生が1880年代、
「凧揚祭」成立が1910年代、

と、理解しております。




 「時代と共に変わる」というフレーズは、いろいろなシーンで見聞きします。

 どんなものであれ、取り囲む社会環境・経済環境の影響を受けないものなどありません。



 しかし、核になる部分は守られるべきです。


 「なんでもあり」なってしまっては、まつりである意味がありません。

 「歴史的な」という位置づけを失ってしまいます。



 一方で、まつりの人数を確保したいがために、「出てくれればありがたい」 という感覚が、時としてあるものと思います。

 それでも、その根底にある意識は「○○町のまつりを維持するために、手伝ってくれればありがたい」というものの筈です。


 「威勢のいい掛け声」ではなく、「汚い大声」を張り上げるようなだらしのない男女がギャーギャーいう姿を

「今の若い衆はこんなもんだ、出てくれるだけでもありがたい」

と許容するのとは、まったく異なります。


 そこのところの節度を、運営側が守ることができるかどうか、というところがキモになってくるものと思います。




 具体性の無い、観念的なお話になってしまいました。
 久々の投稿ゆえ、ご勘弁ください。



 時間が許せば、もう少し具体的なお話も踏み込んでさせていただきます。


      (善)


1920年頃、練兵場の天狗連。


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