法被の話

カテゴリー │法被

数年前に、二俣のお祭りを見物しながら気が付いたのですが。

 二俣14町の法被に、共通する特徴というか、そういうものがあるのではないかと。言い換えると「二俣風」の法被図案。「二俣風」と呼ぶに堪える特徴があるんじゃないか。

 で、参考に。
 壬生の郷/二俣まつり編集委員会編『壬生の郷 二俣まつり』(同委員会、1992年8月)より。

 14町の屋台とともに、1991年頃のそれぞれの法被も紹介されております。それをまとめてみました。



法被の話



 浜松の凧揚祭の法被と比較してみると、それぞれの作風というか、その違いが何となく見えてくる気がします。

 浜松のは背中の紋(「大紋」というそうですが)を中心に、キュッとまとまった感じ。対する二俣のは、右上から左下にかけて、連の名前を大書するような。流れるような。そんな感じ。

 それぞれに独自の図案文化があったのかなーと。

 ただ、浜松も二俣も、90年台以降、法被が様変わりしてしまいました。それまで培ってきたものとは違う流れができてしまった・・・のではないか。

 そのように思う次第であります。


                      (善)



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この記事へのコメント
おそらく情報網が整備され、量が増え、今やあらゆる地方から情報が簡単になった時代です。

よって江戸文字とかの東京地方に昔からあった文化も流入してきたのでしょう。

それも一つの、模様が変化してきた要因ではないでしょうか。
Posted by 雄山神社 at 2011年08月24日 15:25
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