「※とおりすがり」さま
お初とは知らず失礼しました。
続けて丁寧なコメントをいただきましてありがとうございます。
「たい」さんの指摘(
http://takoken.hamazo.tv/e4195909.html#comments)にもあったように、何をもって「浜松まつり」とするのか、という行事の定義づけを整理する必要が少なからずあろうかと思います。
この5月の行事全体は「浜松まつり」と呼ばれています。
この「浜松まつり」には、凧・屋台などの町内毎の行事もあれば、吹奏楽パレードとか民謡とか和太鼓とか・・・といった行事もあり、総数で17から20程度のイベントの同時開催・・・というのが実体です。
そのうちの凧合戦とか屋台とか初練りとかの部分、すなわち各組が伝統的に継承してきている部分だけを取り出して「浜松まつり」などと言ってしまうので、焦点がぼやけてしまう、と考えております。
現在の「浜松まつり」の前身は、「凧揚祭」です。
(でもそう呼ばれたこともあまりなく、通称は「凧」でした。ですが揚げる凧そのものとの区別もしづらいので「凧揚祭」と呼んでおきます)。
練兵場を凧合戦の合戦場として、60前後の町内の、それぞれの凧印の入った凧を揚げて糸を絡ませて摩擦できりあう「集団戦」が核にある祭りでした。
町内ごとの集団戦ですから、凧の印はもちろん、法被も提灯も手拭いも、町内ごとの図案で統一されました。
この形態は、1880年代にその原型としての凧合戦が発生して、1910年代に祭礼的行事として成立します。「凧揚祭」の成立です。
すなわち、「浜松連合凧揚会統監部」を統括機関とする行事でした。
第2次大戦期の中断を経て、1949(昭和24)年まで、「浜松凧揚げ」などと呼ばれながら、凧合戦・屋台などが行われてきました。
問題は、その翌年、1950(昭和25)年。
既存の各町内による「凧揚祭」(凧合戦とか屋台とか)とは別に、商工業復興イベントを同時開催しよう、と浜松商工会議所が発案しました。
凧・屋台以外に、演芸とか商工祭とかいうイベントを商工会議所主導で始めたわけです。そのときに「浜松まつり」という名前が初登場します。
ただし、統括機関は2つ。
各町内による既存の「凧揚祭」は従来通り「浜松連合凧揚会本部」(「統監部」を「本部」に改称)。
商工会議所主導のイベントは「浜松まつり本部」。
名称だけをみると「凧揚祭」を「浜松まつり」に「改称した」ように見えます。
しかし、統括機関が2つ並立しているという組織構成からみると、「凧揚祭」と同時開催している「浜松まつり」という言い方もできます。
歴史的な経緯から見て、「凧揚祭」と「浜松まつり」とは区別して捉えた方が、断然理解しやすいのであります。
「名前が変った」というよりも「『凧揚祭』と同時開催の『浜松まつり』というイベントができた」と理解する方が、スッキリするのであります。
(パンフレット『82浜松まつり』より)
こちらには書かれていませんでしたが。
(善)
◆参考までに
「続・戦後の経緯」(2012年2月16日)
http://takoken.hamazo.tv/e3468493.html
「本部といいますが・・・」(2012年2月19日)
http://takoken.hamazo.tv/e3471834.html
「総会迫る②「中止」の問題点」(2011年6月21日)
http://takoken.hamazo.tv/e3071594.html
「「浜松まつり」か「凧揚祭」か」(2011年7月5日)
http://takoken.hamazo.tv/e3094429.html