御簾脇の彫刻が
先に書いた、1955(昭和30)年の新町の屋台について。
これ以前の屋台とは大きく異なる点がある、と指摘しました。
上記、赤い線で囲った位置、つまり正面の御簾脇彫刻(新町で言うと「龍と虎」の彫刻)を、囲む材がなくなっております。
これ以前の屋台では、正面の柱に龍が巻きついているいわゆる「巻き龍」でない場合は、内側に柱があったり方立があったり枠で囲んだりされているのが普通だったようです。
鍛冶町(1950年造)。御簾脇彫刻の内側に柱があります。
尾張町(1956年造)。御簾脇彫刻の内側に方立があります。
千歳町(1952年造)。御簾脇彫刻の内側に枠があります。
1955年の新町の屋台では、御簾脇彫刻が柱・方立・枠などから彫刻そのものが「独立」しています。
逆に、柱や方立が入るのは、1956年の富吉町・尾張町。この2つが、最後の事例なったのではないかと思います。
その意味で、新町の屋台は、浜松の戦後屋台の歴史の中で、画期となるものだったと言えます。
(善)
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