屋台のここを何と呼ぶか

浜松凧揚祭研究会

2017年06月04日 18:21

先日、東京へ出張したとき。


 通りかかったお寺の建築に目が行きまして。


 「ホホウ、こいつは浜松の屋台に通じるモノがありますなァ」とばかりに、ちょいと立ち寄りました。


 東京都目黒区、大円寺という天台宗のお寺。


 本堂の向拝の軒下。

 立派な虹梁(こうりょう)の上に、龍の蟇股(かえるまた)。

 こちらですね。



 その隣には阿弥陀堂。


 こちらも同じく龍の彫刻。






 こちらには鐘楼(しょうろう)。釣鐘の建物。

 釣鐘の建物。

 こちらは、木の色からもわかるように近年の建物。

 シンプルな蟇股がついております。



 蟇股(かえるまた)とは、文字通りカエルの足を広げたような格好をしている、組物(=斗組(ますぐみ)ともいいます)の間、虹梁の上で軒桁を支える部材。

 元は、上の鐘楼のようにシンプルな形で、構造材(建物を支える部材)の一部だったそうです。

 後に装飾性が強まり、本堂や阿弥陀堂の龍の彫刻のように、基本ラインを破って、組物の際いっぱいまでに広がった、という解説が一般にはなされています。


 で。

 浜松の屋台で、よく「欄間」と通称されている部位があります。

 下の⑥です。

 作画:筆者。

①鬼板(おにいた)
②懸魚(げぎょ)
③虹梁(こうりょう)
④斗組(ますぐみ)、組物、組子とも
⑤木鼻(きばな)

 問題はこの⑥番。

 「欄間」で通っているのでそれでも良いのでしょうが、欄間は一般に、鴨居の上の部材を指します。


 古建築の理屈に従うと、こちらは蟇股(かえるまた)となりましょうか。


 そうすると、下の写真のような形状の部材について、上の斗組と斗組の間の「獅子」「牡丹」の彫刻が【蟇股】、下の「浦島太郎」が【欄間】と呼び分けが可能になったりします。


 元浜町の屋台側面(2003年Naka2撮影)


【元浜町屋台】
棟 梁  高塚房太郎
彫 刻  早瀬利三郎 
新築年 1954(昭和29)年 


 などと。


 凧合戦の陰に隠れがちな屋台ですが、見るべきところはたくさんあるのです。

 

   (善)



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