屋台のここを何と呼ぶか
先日、東京へ出張したとき。
通りかかったお寺の建築に目が行きまして。
「ホホウ、こいつは浜松の屋台に通じるモノがありますなァ」とばかりに、ちょいと立ち寄りました。
東京都目黒区、大円寺という天台宗のお寺。
本堂の向拝の軒下。
立派な虹梁(こうりょう)の上に、龍の蟇股(かえるまた)。
こちらですね。
その隣には阿弥陀堂。
こちらも同じく龍の彫刻。
こちらには鐘楼(しょうろう)。釣鐘の建物。
釣鐘の建物。
こちらは、木の色からもわかるように近年の建物。
シンプルな蟇股がついております。
蟇股(かえるまた)とは、文字通りカエルの足を広げたような格好をしている、組物(=斗組(ますぐみ)ともいいます)の間、虹梁の上で軒桁を支える部材。
元は、上の鐘楼のようにシンプルな形で、構造材(建物を支える部材)の一部だったそうです。
後に装飾性が強まり、本堂や阿弥陀堂の龍の彫刻のように、基本ラインを破って、組物の際いっぱいまでに広がった、という解説が一般にはなされています。
で。
浜松の屋台で、よく「欄間」と通称されている部位があります。
下の⑥です。
作画:筆者。
①鬼板(おにいた)
②懸魚(げぎょ)
③虹梁(こうりょう)
④斗組(ますぐみ)、組物、組子とも
⑤木鼻(きばな)
問題はこの⑥番。
「欄間」で通っているのでそれでも良いのでしょうが、欄間は一般に、鴨居の上の部材を指します。
古建築の理屈に従うと、こちらは蟇股(かえるまた)となりましょうか。
そうすると、下の写真のような形状の部材について、上の斗組と斗組の間の「獅子」「牡丹」の彫刻が【蟇股】、下の「浦島太郎」が【欄間】と呼び分けが可能になったりします。
元浜町の屋台側面(2003年Naka2撮影)
【元浜町屋台】
棟 梁 高塚房太郎
彫 刻 早瀬利三郎
新築年 1954(昭和29)年
などと。
凧合戦の陰に隠れがちな屋台ですが、見るべきところはたくさんあるのです。
(善)
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