2013年06月24日22:34
秘蔵写真:天狗連≫
カテゴリー │法被
http://plaza36.hamazo.tv/e4443972.html
↑「電気工事のひろば」というブログより。sakuzayama様からの情報です。
戦前の練兵場の風景で、天狗連のテギの様子かと思います。
羽団扇(はうちわ)に「う」の図案、肩に三重線。
こちらを向いている手前の人の衿には「天狗連」。
羽団扇は天狗の所持品ですから、天狗連の図案として登場していることに違和感はありません。でもこの図案は今回初めて見ました。
「う」というのは「千歳町」の旧名「後道(うしろみち)」の頭文字と考えれば辻褄が合います。
今回の情報で、謎だった部分が一部解けました。
というのも、コチラ。
祖父が所蔵していたアルバムより、戦前の練兵場の風景、天狗連です。

この写真の左下に曽祖父が写っています。我が家は戦前のある時期まで、当時の後道に居たのだそうで、曽祖父が浜松へ来たのが1918(大正7)年頃、したがって写真は1918年~20年代だろうと思います。
拡大、左隅。

最前列の左の人と、左から4番目の人、立っている列の左から3番目の人。それぞれの肩に三重線が見えますね。
拡大、真ん中~右寄り

唯一、文字が読めるタスキ。「う組 監督」とあります。
この、肩の柄「三重線」の法被がずっと謎でしたが、ようやく全体像が判明しました。
おそらく、上記の絵葉書とこの写真では、この写真の方が新しいように思っています。三重線のない法被が入っていますからね。
三重線がないからといって、大紋が現在の「勢」に「天狗」の短冊かどうかは判りません。ただ、よくみると、今のような腰柄はどうも付いていない様子。だから一概には何とも言えない。
1930年代の写真が登場すると、すべての順番が明らかになることでしょう。

(善)
↑「電気工事のひろば」というブログより。sakuzayama様からの情報です。
戦前の練兵場の風景で、天狗連のテギの様子かと思います。
羽団扇(はうちわ)に「う」の図案、肩に三重線。
こちらを向いている手前の人の衿には「天狗連」。
羽団扇は天狗の所持品ですから、天狗連の図案として登場していることに違和感はありません。でもこの図案は今回初めて見ました。
「う」というのは「千歳町」の旧名「後道(うしろみち)」の頭文字と考えれば辻褄が合います。
今回の情報で、謎だった部分が一部解けました。
というのも、コチラ。
祖父が所蔵していたアルバムより、戦前の練兵場の風景、天狗連です。

この写真の左下に曽祖父が写っています。我が家は戦前のある時期まで、当時の後道に居たのだそうで、曽祖父が浜松へ来たのが1918(大正7)年頃、したがって写真は1918年~20年代だろうと思います。
拡大、左隅。

最前列の左の人と、左から4番目の人、立っている列の左から3番目の人。それぞれの肩に三重線が見えますね。
拡大、真ん中~右寄り

唯一、文字が読めるタスキ。「う組 監督」とあります。
この、肩の柄「三重線」の法被がずっと謎でしたが、ようやく全体像が判明しました。
おそらく、上記の絵葉書とこの写真では、この写真の方が新しいように思っています。三重線のない法被が入っていますからね。
三重線がないからといって、大紋が現在の「勢」に「天狗」の短冊かどうかは判りません。ただ、よくみると、今のような腰柄はどうも付いていない様子。だから一概には何とも言えない。
1930年代の写真が登場すると、すべての順番が明らかになることでしょう。

(善)
この記事へのコメント
オリジナル写真に三重線がけっこうありますね。
貴重な写真をよくお持ちで
貴重な写真をよくお持ちで
Posted by NAVA@八まん連
at 2013年06月27日 00:21

個人的な話にならざるを得ませんが。
「ウチが千歳にあった」とするご先祖の話だけは聞いているのですが、それを示す写真はおそらくこの1枚だけだろうと思います。
1920(大正9)年生れの祖父が小学校(尋常小学校)に上がる前に転居しておりますので、この写真も1925(大正14)年以前のものと考えられます。
「ウチが千歳にあった」とするご先祖の話だけは聞いているのですが、それを示す写真はおそらくこの1枚だけだろうと思います。
1920(大正9)年生れの祖父が小学校(尋常小学校)に上がる前に転居しておりますので、この写真も1925(大正14)年以前のものと考えられます。
Posted by 善
at 2013年06月27日 22:29
