端午の節句 初節句

浜松凧揚祭研究会

2013年05月02日 01:21

4月30日(火)『中日新聞』25面に、節句祝いと女性参加についての記事が載りました。

(写真は削除してあります。掲載の都合上記事の配置を編集しております。)



 この記事、読みにくいなァと思うのです。

 なぜか?

 女性の参加問題と、初祝いの話をごちゃまぜにしているから。


 まずはじめに。
 「初子」などという言葉が、さも昔から存在しているかのように書かれていますが、当ブログで何度か指摘しているように、この言葉じたい新聞などマスコミによる造語ではないかと考えています。

 「初は何軒ある?」というセリフは聞いても「初子は何人だ?」などという言い回しは、少くとも1990年頃までは聞きませんでした。


 初節句は長男が生まれた家のお祝い。
 特に昔は、長男と言えば「家産の継承者」であり「家業の継承者」でありましたから、「やや資産家以上」の初節句となれば、それはもう、お祝いに行くその組も力が入ったことでしょうよ。

 家としても見栄の張り合い。


 初節句の「節句」というのは、この場合「端午の節句」ですから、長男が誕生した家。
 通称「桃の節句」(上巳の節句)は長女が誕生した家のお祝い。


 とまぁ、近世後期頃からだろうと思いますが、伝統的に3月と5月とで女児誕生と男児誕生の色分けがなされており、私らの年代(わたしゃ1974年生れ)やその10年くらい下の世代までは、初を出すのは「長男誕生時」と決まっていましたね。


 だから、「オレ次男だから初はやってない」と、こういう会話にもなるのも当たり前でした。

 そもそも「生まれた子のお祝い」とうよりも、「長男が誕生した家のお祝い」という感じだったのだろうと思います。



 これが、いつもまにやら、子供の誕生祝いに変わっていきました。

 それだけ祭を知らない人々が増え、「常識」が通用しなくなったということですね。

 大体、新聞記事の書き手は凧揚祭の内部の人間ではないでしょうから、昔から事情に明るくない。

 そもそも、祭などは「民俗行事」と言われるだけあって、文字文化の外側に存在するもの。祭を文字によって記述するということ自体、なされてきませんでした。

 で、ここからは推測ですが、初は家のお祝いだという認識を深く持っていない記者さんが、その姿、生まれて1年に満たない赤ん坊に法被を着せて肩車している姿を見て、「そうか!生まれたその子を祝っているんだ!」と勘違い。

 初凧に初練り、その対象になっている子だから「初子」だ!と、誤解から言葉を発明してしまったのでは?

 あげく、「初子凧」などという言葉もこの数年の間に発明されました。

 凧を作っている凧屋さんが「初凧」とは言っても「初子凧」などとは言いませんからね。

 

 伊場町(東伊場)は今でも「長男のみ」としているということですが、端午の節句の初祝いとは本来そういうモンです。


 私もそれが長らく「常識」だと思っていたら、既に少数派。私の知る限り、女の子の「初凧」に積極的でないのは、伊場町以外では、馬込町・新町・松江町くらい。

 「長男が基本」と明言しているのはもはや伊場町だけかも。ガンバレ伊場町!。


 「少子化で長男だけで初を確保するのが難しく」と書いていますが、世帯あたりの子供の数が減っているのを「少子化」と呼ぶとすると、それは「初」の減少の理由にはなりません。

 男の子が3人いようと、初は長男のみなんだから。


 昔の方がよほど初凧の注文は少なく、家紋と名前のない喧嘩凧(町内凧)の方が多かったとのこと。



              (善)



 と。

 この書き込みを最後に、明日から前夜祭に突入。

 今年も色々な問題を抱えつつ、それでも祖父母の代より前から続くこの祭を子や孫の代より後の時代まで、できるだけ変わらぬ姿で続けていけるよう試行錯誤しながら、実践してみようかと、このように思うのであります。

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