2011年11月15日00:29
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カテゴリー │屋台
下池川町にある天林寺の山門です。

2006年9月撮影。お彼岸の墓参時に。
「ミスター彫刻師」から戦後の作と聞いております。
棟梁が掛塚の平野孝で、彫刻師が元魚町の浦部一郎とか。
浜松の戦後の屋台復興を担った面々ではござらぬか。
住宅建築もそうですが、大工さん一人ですべての仕事をするわけではなく、屋台も、大工棟梁、彫刻師、金具師、車師、塗師などなど、多くの職種の方々の手によって生み出されるもの。
ところが、意外と名前が出てこないのが実情といってよいでしょう。
(善)
というわけで、天林寺の山門と同じ棟梁&彫刻師のペアで作った屋台の写真。
2006年4月naka氏撮影。(後ろ向きですが)

<追記>
浦部一郎さんの手記によると天林寺山門は昭和38(1963)年の建築のようです。
戦前は市内各所に立派な寺社建築があったようですが、国宝の五社神社、諏訪神社含め、龍禅寺、鴨江寺、松尾神社等々戦災で貴重な建築が失われました。
なにしろ松菱しか残らなかったと聞くほどですもんね。
さて天林寺は山門と同時期に鐘楼も建てております。
こちらの写真が手元になかったので、
代わりに去年、研究会の課外活動で天林寺見学に行った際の写真を載せますヨ

みんな真剣だ(笑)
解説してくれる人が一緒だといいね。
さらに海老塚町屋台の正面の写真も。

2008年4月撮影
浦部さんの脂の乗り切った傑作!
全体のバランス、塗り、洒落た彫刻の題材、提灯の色…… 大好きな屋台です。
(naka改メ naka2)
navaさんと一文字違いなので“2”を付けときマス。
2006年9月撮影。お彼岸の墓参時に。
「ミスター彫刻師」から戦後の作と聞いております。
棟梁が掛塚の平野孝で、彫刻師が元魚町の浦部一郎とか。
浜松の戦後の屋台復興を担った面々ではござらぬか。
住宅建築もそうですが、大工さん一人ですべての仕事をするわけではなく、屋台も、大工棟梁、彫刻師、金具師、車師、塗師などなど、多くの職種の方々の手によって生み出されるもの。
ところが、意外と名前が出てこないのが実情といってよいでしょう。
(善)
というわけで、天林寺の山門と同じ棟梁&彫刻師のペアで作った屋台の写真。
2006年4月naka氏撮影。(後ろ向きですが)

<追記>
浦部一郎さんの手記によると天林寺山門は昭和38(1963)年の建築のようです。
戦前は市内各所に立派な寺社建築があったようですが、国宝の五社神社、諏訪神社含め、龍禅寺、鴨江寺、松尾神社等々戦災で貴重な建築が失われました。
なにしろ松菱しか残らなかったと聞くほどですもんね。
さて天林寺は山門と同時期に鐘楼も建てております。
こちらの写真が手元になかったので、
代わりに去年、研究会の課外活動で天林寺見学に行った際の写真を載せますヨ

みんな真剣だ(笑)
解説してくれる人が一緒だといいね。
さらに海老塚町屋台の正面の写真も。

2008年4月撮影
浦部さんの脂の乗り切った傑作!
全体のバランス、塗り、洒落た彫刻の題材、提灯の色…… 大好きな屋台です。
(naka改メ naka2)
navaさんと一文字違いなので“2”を付けときマス。
この記事へのコメント
まじまじと屋台をみるとスピーカーと信号灯邪魔ですね
後側の屋台の絵のほうがすっきりとしてると思います
あと、町名の提灯がこの写真の前の型だと大きくて屋台の1層目とのバランスが良いんですが・・・
これなら丸提灯組み合わせて「ゑ」「飛"」「連」のがカッコイイっじゃないかって
後側の屋台の絵のほうがすっきりとしてると思います
あと、町名の提灯がこの写真の前の型だと大きくて屋台の1層目とのバランスが良いんですが・・・
これなら丸提灯組み合わせて「ゑ」「飛"」「連」のがカッコイイっじゃないかって
Posted by ab at 2011年11月16日 23:39
すばらしい写真ですね。
バランス、漆、メリハリある彫刻。
提灯は横の大きさを強調する効果もあるように感じました。後ろからの指針で提灯がなかったらタチの高いスリムな印象になった事でしょう
バランス、漆、メリハリある彫刻。
提灯は横の大きさを強調する効果もあるように感じました。後ろからの指針で提灯がなかったらタチの高いスリムな印象になった事でしょう
Posted by nava@八まん連 at 2011年11月17日 01:14