2012年06月05日00:25
パンフ『濱松の凧』1928?②≫
カテゴリー │パンフレット1929?
1928年は昭和3年。
推定1928年版のパンフレット『濱松の凧』です。
こうした出版物が、全て「正しい」とは限りません。
ただ、こちらについて言えば、かなり精緻な仕事をされているといってもいいように思います。
たとえばこの画像の成子町・伝馬町・紺屋町の法被などは、現在の法被と同じ柄。
ということは、今とは異なる凧印や法被の図案も、実際のものにかなり近い絵ではないかと、類推する次第。
(善)
推定1928年版のパンフレット『濱松の凧』です。
こうした出版物が、全て「正しい」とは限りません。
ただ、こちらについて言えば、かなり精緻な仕事をされているといってもいいように思います。
たとえばこの画像の成子町・伝馬町・紺屋町の法被などは、現在の法被と同じ柄。
ということは、今とは異なる凧印や法被の図案も、実際のものにかなり近い絵ではないかと、類推する次第。
(善)
この記事へのコメント
ウチのこの頃の凧印が年毎に違うんだけど、
90↑のジジィが言うには、初は「マ」だけで、
それ以外に毎年図案考えて持っていった、
って言ってました。
で、記憶にあるのがこのパンフの判じ絵と
三蓋松だそうです。
90↑のジジィが言うには、初は「マ」だけで、
それ以外に毎年図案考えて持っていった、
って言ってました。
で、記憶にあるのがこのパンフの判じ絵と
三蓋松だそうです。
Posted by 作左山 at 2012年06月05日 09:23
よく見かける昭和3年のパンフには我が町は載ってませんが、コチラには出てますね。。。しかもウサギの絵凧とは。
うーむ、、、希少。
うーむ、、、希少。
Posted by ピチ男 at 2012年06月05日 15:02
毎度コメントありがとうございます。
松城町の「四つ松に呂の字」(という言い方で良いかどうか)は、「すゞ木」のオバアチャンに見せたら、「あれ、懐かしいやああ」と大好評でしたよ。
凧印は変わっても、戦前はコチラの法被を一貫して用いていたのでしょうかね。
凧は年に1回見られるかどうかですが、法被は各家庭で所有してますから、女性には凧印より馴染み深いのかも。
ちなみに「三階松」という表記では・・・。
中山町のうさぎは、知る人ぞ知る「うさぎ山」由来・・・と考えて良いですよね。どこかから写真が出てこればなァ。
松城町の「四つ松に呂の字」(という言い方で良いかどうか)は、「すゞ木」のオバアチャンに見せたら、「あれ、懐かしいやああ」と大好評でしたよ。
凧印は変わっても、戦前はコチラの法被を一貫して用いていたのでしょうかね。
凧は年に1回見られるかどうかですが、法被は各家庭で所有してますから、女性には凧印より馴染み深いのかも。
ちなみに「三階松」という表記では・・・。
中山町のうさぎは、知る人ぞ知る「うさぎ山」由来・・・と考えて良いですよね。どこかから写真が出てこればなァ。
Posted by 善 at 2012年06月05日 23:45