2012年10月26日02:51
屋台の話≫
カテゴリー │屋台
ご無沙汰ばかり。
久しぶりの記事投稿です。
長いこと、法被や図案の話が多かった次第ですが、屋台の話なども少しずつ展開していきたいなと、思うのであります。
おまつりというと、法被を着る人の興奮とか熱狂とか迸るエネルギーとか、そういう受け止め方をする方もいらっしゃることでしょうが。
各アイテムの美しさとか芸術性とかいう部分も欠かせない要素。
凧揚祭を彩る様々なものの姿・形があります。凧印であったり法被であったり提灯だったり・・・。
それぞれに、それぞれの芸術性というか、美しさというか、「世界」があるわけですが、屋台というのはその中でも別格。
多くの職人の手を通して出来上がるものだけに、奥の深さもまた格別。
ところが、浜松の凧まつりは「凧まつり」というだけあって、メインは凧合戦。屋台は夜の添え物・・・といった位置づけになりがちなのも現実。
屋台は、それを生み出す技術、という観点からすれば、堂宮建築に分類されるわけです。モチロン、地面に固定されていませんから、建築基準法なんかで言うような「建築物」には当たりませんが。
建築の世界は、建築基準法などのように、法の中にも位置づけられるくらいなだけに、研究や用語の整理も進んでいます。
凧の印や法被の図案のような、職人さんたちの世界だけで受け継がれてきたものと比べると、学問や法の対象にもなっている分野という意味でもやはり「別格」といえるかもしれません。
そういう意味では最も理解しやすい分野かも。最もむつかしい分野とも言えますが。
「お祭りの中での屋台」というと、神様との関係とか(御幣を乗せて渡御するだとか)そういう探究をしがちですが、「建築技術によって生み出されたもの」として位置づければ、違う角度からの理解もずいぶん進むのでは。
とくに、浜松でも、今まで整理されてこなかったところですので、ワタクシなりに浜松の屋台を分析してみたいと思うのであります。
というと、ずいぶんオオゲサな感じ。
各部位の名称が判るだけでも、面白く感じていただけると思いますので、ボチボチ書いていきます。
(2006年5月、naka2氏撮影。元城町にて)
(善)
久しぶりの記事投稿です。
長いこと、法被や図案の話が多かった次第ですが、屋台の話なども少しずつ展開していきたいなと、思うのであります。
おまつりというと、法被を着る人の興奮とか熱狂とか迸るエネルギーとか、そういう受け止め方をする方もいらっしゃることでしょうが。
各アイテムの美しさとか芸術性とかいう部分も欠かせない要素。
凧揚祭を彩る様々なものの姿・形があります。凧印であったり法被であったり提灯だったり・・・。
それぞれに、それぞれの芸術性というか、美しさというか、「世界」があるわけですが、屋台というのはその中でも別格。
多くの職人の手を通して出来上がるものだけに、奥の深さもまた格別。
ところが、浜松の凧まつりは「凧まつり」というだけあって、メインは凧合戦。屋台は夜の添え物・・・といった位置づけになりがちなのも現実。
屋台は、それを生み出す技術、という観点からすれば、堂宮建築に分類されるわけです。モチロン、地面に固定されていませんから、建築基準法なんかで言うような「建築物」には当たりませんが。
建築の世界は、建築基準法などのように、法の中にも位置づけられるくらいなだけに、研究や用語の整理も進んでいます。
凧の印や法被の図案のような、職人さんたちの世界だけで受け継がれてきたものと比べると、学問や法の対象にもなっている分野という意味でもやはり「別格」といえるかもしれません。
そういう意味では最も理解しやすい分野かも。最もむつかしい分野とも言えますが。
「お祭りの中での屋台」というと、神様との関係とか(御幣を乗せて渡御するだとか)そういう探究をしがちですが、「建築技術によって生み出されたもの」として位置づければ、違う角度からの理解もずいぶん進むのでは。
とくに、浜松でも、今まで整理されてこなかったところですので、ワタクシなりに浜松の屋台を分析してみたいと思うのであります。
というと、ずいぶんオオゲサな感じ。
各部位の名称が判るだけでも、面白く感じていただけると思いますので、ボチボチ書いていきます。
(2006年5月、naka2氏撮影。元城町にて)
(善)