2014年05月12日23:31
終了時刻ばかりではあるまい④≫
カテゴリー │終了時刻
みなさま、お疲れ様でした。
ご町内のたすきぬぎやブロックの反省会を含め、大方の行事が完了されたことと思います。
昨晩、所属するブロックの反省会で反省してまいりました。
やはり、大きなテーマは「終了時刻」問題。
屋台の統一行動の前の別の行事が理由で開始が1時間以上遅延した、町内帰着も遅延した、初練りの時間も遅くなった。
まぁ、そうなりますよ。
開始が1時間遅れたとして、どんなにあいだを詰めたって30分は遅れるでしょうよ。
22:00も回りますわ、そりゃ。
それを「付近住民の苦情があった」ことにされて、お祝いに水を注されたのだとか。
終了時刻は、制度上22:00、凧まつりの実態としてはご町内によって温度差はあるものの、大方24:00前後。
この制度と実態が乖離(かいり)した状態のまま、現在に至る、というのが紛れもない事実であります。
とくに、中央地区・東地区・県居地区は古くから、それこそ「浜松まつり」と名のつく遥か昔から、凧まつりを挙行してきた区域ですね。
皮肉というか、悲しいことに、このエリアにマンションが林立したのがこの10年。
凧まつりの実情を知らず、地域社会での関係も持っていない住民、という人々も中には居る、というわけで、マンションがない時代には考えられなかったような苦情(内容も件数も)が寄せられてしまうわけです。
が。苦情を言う側も、言われる側も、どちらにも非がないの。そこが辛いところなわけ。
マンション住民にも、凧まつりにも、どちらも悪くないの。
よく、「浜松まつりは見せるまつりじゃない、観光のためのまつりでもない、やってみなきゃその面白さは解らない」などとう言説を、見たり聞いたりしたものです(こういうフレーズを聞いたことのある人も多いのでは?)。
と、言いますが、反論します。 「凧まつりは見せるまつりだ」。
凧まつりは、観光産業を育てようとして始めたものではない。そこはそうですね。
でも、「見せる」という要素は大いにある。
例えば法被。
年に3日間しか着ないものに、あれだけの費用をかけ、手間ひまかけて図案も考案して、見た目の美しさ・かっこよさを競っているではないか!。
例えば凧。
赤や紺の鮮やかな色彩、個性ある凧じるしは、見る人の目を魅了する。
例えば屋台。
見せる前提で無しに、あんな精緻なものはできるはずがない。
例えば練り。
提灯を揃えて、摺足が整っていたら、そりゃぁ見てる方も面白いでしょうよ。
ということなんです。
やっている側が楽しいのはそりゃそうだ。好きでやってるんだから。
でも、昔のような練り。
たとえ少ない人数でも、先頭から末尾まで、2列とか3列とかで、キレイに摺り足が出来ていたら、交通に停車を求められた運転手さんだって、車を停めながら惚れ惚れと見ちゃうと思うのね。
そういうまつりができてますか??って言いたいのですよ。
当日、誰かの友達の知り合いで・・・とかいうような関係でワッペン買ってお祭りにでています、というような「参加者」あたりが、下品な声で大騒ぎしたり、雪駄をズリズリ歩いたり・・・、そんな連中が多くを占める練りなんか、練りじゃないでしょ。
と、考えていくと、新住民が増えた、許可時間内に終わらないから苦情が多い、という単純な問題ではなく、凧揚祭の本質が変わってしまったんじゃないの?というところまで、我々は考える必要があると思うのであります。
とりとめもなく。
(善)
こんなに見せれるものがイッパイ。
ご町内のたすきぬぎやブロックの反省会を含め、大方の行事が完了されたことと思います。
昨晩、所属するブロックの反省会で反省してまいりました。
やはり、大きなテーマは「終了時刻」問題。
屋台の統一行動の前の別の行事が理由で開始が1時間以上遅延した、町内帰着も遅延した、初練りの時間も遅くなった。
まぁ、そうなりますよ。
開始が1時間遅れたとして、どんなにあいだを詰めたって30分は遅れるでしょうよ。
22:00も回りますわ、そりゃ。
それを「付近住民の苦情があった」ことにされて、お祝いに水を注されたのだとか。
終了時刻は、制度上22:00、凧まつりの実態としてはご町内によって温度差はあるものの、大方24:00前後。
この制度と実態が乖離(かいり)した状態のまま、現在に至る、というのが紛れもない事実であります。
とくに、中央地区・東地区・県居地区は古くから、それこそ「浜松まつり」と名のつく遥か昔から、凧まつりを挙行してきた区域ですね。
皮肉というか、悲しいことに、このエリアにマンションが林立したのがこの10年。
凧まつりの実情を知らず、地域社会での関係も持っていない住民、という人々も中には居る、というわけで、マンションがない時代には考えられなかったような苦情(内容も件数も)が寄せられてしまうわけです。
が。苦情を言う側も、言われる側も、どちらにも非がないの。そこが辛いところなわけ。
マンション住民にも、凧まつりにも、どちらも悪くないの。
よく、「浜松まつりは見せるまつりじゃない、観光のためのまつりでもない、やってみなきゃその面白さは解らない」などとう言説を、見たり聞いたりしたものです(こういうフレーズを聞いたことのある人も多いのでは?)。
と、言いますが、反論します。 「凧まつりは見せるまつりだ」。
凧まつりは、観光産業を育てようとして始めたものではない。そこはそうですね。
でも、「見せる」という要素は大いにある。
例えば法被。
年に3日間しか着ないものに、あれだけの費用をかけ、手間ひまかけて図案も考案して、見た目の美しさ・かっこよさを競っているではないか!。
例えば凧。
赤や紺の鮮やかな色彩、個性ある凧じるしは、見る人の目を魅了する。
例えば屋台。
見せる前提で無しに、あんな精緻なものはできるはずがない。
例えば練り。
提灯を揃えて、摺足が整っていたら、そりゃぁ見てる方も面白いでしょうよ。
ということなんです。
やっている側が楽しいのはそりゃそうだ。好きでやってるんだから。
でも、昔のような練り。
たとえ少ない人数でも、先頭から末尾まで、2列とか3列とかで、キレイに摺り足が出来ていたら、交通に停車を求められた運転手さんだって、車を停めながら惚れ惚れと見ちゃうと思うのね。
そういうまつりができてますか??って言いたいのですよ。
当日、誰かの友達の知り合いで・・・とかいうような関係でワッペン買ってお祭りにでています、というような「参加者」あたりが、下品な声で大騒ぎしたり、雪駄をズリズリ歩いたり・・・、そんな連中が多くを占める練りなんか、練りじゃないでしょ。
と、考えていくと、新住民が増えた、許可時間内に終わらないから苦情が多い、という単純な問題ではなく、凧揚祭の本質が変わってしまったんじゃないの?というところまで、我々は考える必要があると思うのであります。
とりとめもなく。
(善)
こんなに見せれるものがイッパイ。
この記事へのコメント
この問題はFacebook内、浜松の人集まれ!でもさんざん苦情投稿やコメントが多数出回り、読んで別の意味で過熱したことは確かです。キレました。とりわけ古参町では難しいところではありますが、どうにか解決方法を探り、苦情のないようにしてもらいたいところです。
Posted by まつりびと at 2014年05月13日 12:36
コメントありがとうございます。
空を見上げて凧判別などと、呆けたことをしているうちに、たくさんの「いいね!」をいただいておりました。
恥ずかしながらフェイスブックが苦手でありまして、「すごい数シェアされてたじゃないですか!」とナマで教えていただいて気がついた次第。
このまつりがどういうまつりだったのか、今後どうあるべきか、いろんなレベルでいろんな場で議論されていければ、未来も少しは開けるものと思います。
空を見上げて凧判別などと、呆けたことをしているうちに、たくさんの「いいね!」をいただいておりました。
恥ずかしながらフェイスブックが苦手でありまして、「すごい数シェアされてたじゃないですか!」とナマで教えていただいて気がついた次第。
このまつりがどういうまつりだったのか、今後どうあるべきか、いろんなレベルでいろんな場で議論されていければ、未来も少しは開けるものと思います。
Posted by 善 at 2014年05月18日 17:16