2014年09月06日01:44
叉水連 二俣・横町≫
カテゴリー │「浜松まつり」諸問題
戦前の浜松・鍛冶町の屋台と同じ棟梁が建築した二俣・横町の屋台。
大きさは異なるものの、形もそっくりの屋台。三嶽駒吉の作。

1933(昭和8)年に浜松・鍛冶町「か組」の屋台。
1936(昭和11)年に二俣・横町「叉水連(さすいれん)」の屋台。

鍛冶町の屋台は戦火に焼かれてしまいましたが、横町の屋台は今も現役です。
その二俣・横町「叉水連」、来年以降のまつり存続が大変厳しい状況なのだとか。
世帯数を調べてみたら、2010年の時点で25世帯。
(「人口ピラミッドPlus」というサイトより)
http://population.souken.or.jp/
>静岡県 >浜松市天竜区 >二俣町二俣 >二俣横町
2014年4月の時点で26世帯。
(「浜松市自治会連合会HP」より)
http://www.hamajitiren.jp/kakuku/tenryu02.html
いずれにしても、30世帯を切っているであろうことは想像されます。
そして、屋台存続が困難というその理由もそ辺りにあるのだとか。
ワタクシ自身、浜松で最も小さな町内の一つに身を置いているので、その切なさ・辛さは我が事のように理解できます。決して他人事ではありません。
浜松・松江町の場合、集合住宅を除くいわゆる戸建世帯で約21世帯。
凧揚祭の屋台を最後に曳いたのが1966(昭和41)年。
屋台以外の凧揚げ・練りは復活できたものの、屋台は未だに休止中。
たまたま、浜松の都心からほど近い場所で、企業やマンションも立地しているという条件が重なって、なんとか住民組織やまつりを維持していますが、そうでなければ二俣・横町の状況となんら変わりはないのであります。
人口が減少に転じる中で、今後、同様の問題は、そこかしこに発生してくるのではないかと思います。
二俣・横町「叉水連」にあっては、なんとか存続できるようお祈りすることしかできません。
当事者ではないので、勝手なことは言えませんし、言うべきではないのでありますが、やはり存続されれば嬉しく思います。
(善)
大きさは異なるものの、形もそっくりの屋台。三嶽駒吉の作。

1933(昭和8)年に浜松・鍛冶町「か組」の屋台。
1936(昭和11)年に二俣・横町「叉水連(さすいれん)」の屋台。

鍛冶町の屋台は戦火に焼かれてしまいましたが、横町の屋台は今も現役です。
その二俣・横町「叉水連」、来年以降のまつり存続が大変厳しい状況なのだとか。
世帯数を調べてみたら、2010年の時点で25世帯。
(「人口ピラミッドPlus」というサイトより)
http://population.souken.or.jp/
>静岡県 >浜松市天竜区 >二俣町二俣 >二俣横町
2014年4月の時点で26世帯。
(「浜松市自治会連合会HP」より)
http://www.hamajitiren.jp/kakuku/tenryu02.html
いずれにしても、30世帯を切っているであろうことは想像されます。
そして、屋台存続が困難というその理由もそ辺りにあるのだとか。
ワタクシ自身、浜松で最も小さな町内の一つに身を置いているので、その切なさ・辛さは我が事のように理解できます。決して他人事ではありません。
浜松・松江町の場合、集合住宅を除くいわゆる戸建世帯で約21世帯。
凧揚祭の屋台を最後に曳いたのが1966(昭和41)年。
屋台以外の凧揚げ・練りは復活できたものの、屋台は未だに休止中。
たまたま、浜松の都心からほど近い場所で、企業やマンションも立地しているという条件が重なって、なんとか住民組織やまつりを維持していますが、そうでなければ二俣・横町の状況となんら変わりはないのであります。
人口が減少に転じる中で、今後、同様の問題は、そこかしこに発生してくるのではないかと思います。
二俣・横町「叉水連」にあっては、なんとか存続できるようお祈りすることしかできません。
当事者ではないので、勝手なことは言えませんし、言うべきではないのでありますが、やはり存続されれば嬉しく思います。
(善)