町名と地名と町内と

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 亀山町とか追分町とか名残町とか上池川町とか、それぞれが「地名」として既に存在していないと知ったのは、凧じるしをすべて覚えた幼少の頃よりもだいぶあとのことでした。

 そしてそれが「住居表示」によってかき消されたと知ったのは、神谷昌志の『はままつ町名の由来』(静岡新聞社、1988年)を読んでからでした。



 「住居表示」とは「住所」をチョット難しくいってみた、というレベルのものではない。「住居表示に関する法律」という1962(昭和37)年施行の「法」に基づく制度である。


 住居表示を実施していない区域では、「その建物の場所」を特定するのは「地番」しかない。「松江町63番地」という番号のついた土地(筆)に建っている建物、ということである。

 だから、一筆に建物が一つなら解りやすいが、大きな筆に建物が10軒もあったりすると、同じ番地に建物が10軒となってしまう。実際、松江町63番地には建物が4つあった。

 住居表示とは、「街区番号」と「建物番号」とを設けることで、土地の所有関係に左右されず、建物そのものを特定する制度だから、その点ではマシなのかもしれない。特に旧市街地は「大きな土地に借家が15軒」などというケースもよくあったであろう。「つまり同じ地番に建物がたくさん」という状態を解消するのが本来のが趣旨のはずだ。

 ただ問題は、すでにあった地番(土地を特定する番号)とは別に住居番号(住居を特定する番号)をつけるわけだから、当然ながら地番と建物番号はズレてくる。住居表示実施区域では、土地の登記簿の地番と、住民票の「住所」(=住居表示)とが、一致しないはずだ。実にヤヤコシイ。


 さらに大きな問題。
 「住居表示法」本来の趣旨(=建物の特定のための街区番号と住居番号の設置)の範疇を超えて、地名改変を始めたのだ。浜松で、真っ先に地名として失われたのが、亀山町など上記4町であった。


「総務省ホームページ」>所管法令等>地方自治「地方行政」>「住居表示に関する法律」より
(目的)
第一条  この法律は、合理的な住居表示の制度及びその実施について必要な措置を定め、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする。


 じゃぁ「亀山町」は無くなったのか。いや、無くなっていない(ベタな反語表現で恐縮)。

 亀山町も追分町も、現役の町名として生きている。亀山町自治会という組織があり、凧印も法被も屋台も持っている。

 無くなったのは地図上に記載されていた名称と区域。すなわち「地名」だけ。「住民の社会の単位」としての「町内」は生きている。「町内」社会を支えているのが「自治会」組織というわけだ。

 本来「町名=地名」の図式は成り立っていた。

 町名とは「町内の名称」、町内とは「住民の社会の単位」。「住民」という言葉には「そこに住んでいる人」という意味がある。おのずから区域と名称ができるわけである。

 したがって亀山町の領域は亀山町に住んでいる人々の社会の範域であり、その社会を支えているのが自治会組織だから、亀山町自治会の範域が亀山町の範域となる。

 であるはずなのに、その「社会の範域」を分断するかのように、「住居表示」に基づく地名「鹿谷町」「布橋 丁目・・・が設定された。地名としての亀山町が消去された。いまでも「現役の町内」なのに、である。
 
 つまり、「町名=地名」の図式は成り立たなくなった。

 と、息巻いているうちに、同じことを自分のところでもやられてしまった。

 すなわち、「松江町」「新町」「馬込町」地名と区域が地図から消去され、「中央3丁目」とかなんとか、愚にもつかない地名をかぶせられた。町内間の国境線も無視された。

 今や、八幡町の南部から松江町まで、東田町から野口町の南部まで、みーーんな同じ「中央」ですわ。心外な。


 これもまた今回の「浜松まつり中止」の理由と同じ。「地元自治会の要望によって」であった。


                               (善)



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