浜松空襲

カテゴリー │歴史

戦後70年だそうです。

 1945年(昭和20年)6月18日未明、浜松は米軍の空爆を受けました。

 五社神社も、その南隣の諏訪神社も、市街地もろとも壊滅。屋台も。凧も。


 八幡町付近は焼け残ったようで、八幡宮と八幡町の屋台、野口町の屋台は、戦火を免れたようです。

 馬込川東の東海道沿い(相生町・天神町付近)も焼け残ったと、故・伊藤誠一さんから伺いました。


 『中日新聞』が浜松空襲について、「焼き尽くされた夜」というタイトルで連載しております。東海本社版の1面。

 体験者の具体的な証言や資料を元に、詳しく再現されております。


 浜松空襲
浜松空襲
浜松空襲


 「戦争体験の風化」は、時代が下るに連れてやむを得ないとは思います。

 しかしながら、歴史の中で連綿と(ときに中断を挟みながら)受け継がれてきた行事=「祭」に携わる者として、この戦争の記憶も、我々なりに受け継いでいく必要を感じるのであります。

       (善)



同じカテゴリー(歴史)の記事
93日ぶりの・・・
93日ぶりの・・・(2019-04-06 10:46)

凧まつり今昔・・・
凧まつり今昔・・・(2018-04-26 00:19)

練兵場の頃
練兵場の頃(2015-06-20 23:12)

謎が(年代特定)
謎が(年代特定)(2015-06-16 00:03)

1963年~1966年②
1963年~1966年②(2015-06-09 23:03)


 
この記事へのコメント
私の祖母から聞いた話し、実家のある志都呂から眺めていた話を思い出しました。
「 焼夷弾がキラキラ降っててね〜、街中が真っ赤だった。新川には多くの遺体が…」など。
歴史の流れの中にある現実ですよね
Posted by 蒼氓蒼氓 at 2015年06月19日 21:53
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
浜松空襲
    コメント(1)