2020年03月29日14:40
「中止」に際して≫
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世界中を巻き込む大騒動の中、浜松まつりの中止が決定されました。
各組においても中止連絡がなされたものと推察します。
一日も早いこの騒動の収束と、日常生活の正常化を願って止みません。
凧合戦を核とした凧揚祭が成立したのは1910年代(明治末期から大正初期)。
以来、中断したのは1938年(昭和13年)~1946年(昭和21年)。
当時「支那事変」と称された「日中戦争」勃発により、敗戦後まで8年間、やらなかったようです。
例外として、1940年(昭和15年)に屋台を曳いたようです。
それこそ、幻となった東京オリンピック、紀元2600年祭の時。
写真が各組に残されておりますね。
私の祖父は、1920年(大正9年)生まれで、浜商を卒業した1938年(昭和13年)から、名古屋へ修行に出ており、中断した時期の浜松の事は、確かめられませんでした。
でも、浜商卒業までの凧まつり体験はあった。
その下の世代の方、1935年(昭和10年)生まれの方は、子供の頃は戦争で「凧」がなかった。
「屋台がしまってあるよ」という話を、当時大人から聞いた覚えがある程度。
敗戦前の記憶はあるのに、「凧」については戦後の体験しかしていないのだそうです。
今年の中止、止むを得ん事情ですが、残念。
寂しい。
そして、さらに懸念されることに、騒ぎが収束しなければ来年5月も怪しい。
ひょっとして1938年(昭和13年)以降のようなことになってしまわないか。
漠然とした不安が、脱力感とともに漂っております。
忘れないために、以下に、関連記事を掲載します。

『静岡新聞 夕刊』 20/3/23(月)1面。

『静岡新聞』 20/3/24(火)1面。

『静岡新聞』 20/3/24(火)9面。

『日本経済新聞』 20/3/24(火)43面。

『静岡新聞』 20/3/24(火)27面。

『静岡新聞』 20/3/25(水)17面。
(善)
各組においても中止連絡がなされたものと推察します。
一日も早いこの騒動の収束と、日常生活の正常化を願って止みません。
凧合戦を核とした凧揚祭が成立したのは1910年代(明治末期から大正初期)。
以来、中断したのは1938年(昭和13年)~1946年(昭和21年)。
当時「支那事変」と称された「日中戦争」勃発により、敗戦後まで8年間、やらなかったようです。
例外として、1940年(昭和15年)に屋台を曳いたようです。
それこそ、幻となった東京オリンピック、紀元2600年祭の時。
写真が各組に残されておりますね。
私の祖父は、1920年(大正9年)生まれで、浜商を卒業した1938年(昭和13年)から、名古屋へ修行に出ており、中断した時期の浜松の事は、確かめられませんでした。
でも、浜商卒業までの凧まつり体験はあった。
その下の世代の方、1935年(昭和10年)生まれの方は、子供の頃は戦争で「凧」がなかった。
「屋台がしまってあるよ」という話を、当時大人から聞いた覚えがある程度。
敗戦前の記憶はあるのに、「凧」については戦後の体験しかしていないのだそうです。
今年の中止、止むを得ん事情ですが、残念。
寂しい。
そして、さらに懸念されることに、騒ぎが収束しなければ来年5月も怪しい。
ひょっとして1938年(昭和13年)以降のようなことになってしまわないか。
漠然とした不安が、脱力感とともに漂っております。
忘れないために、以下に、関連記事を掲載します。

『静岡新聞 夕刊』 20/3/23(月)1面。

『静岡新聞』 20/3/24(火)1面。

『静岡新聞』 20/3/24(火)9面。

『日本経済新聞』 20/3/24(火)43面。

『静岡新聞』 20/3/24(火)27面。

『静岡新聞』 20/3/25(水)17面。
(善)