博物館へ行ってきました。

カテゴリー │図案

市制100周年ということで博物館でも特別展示が行われていました。

博物館へ行ってきました。


懐かしの「のび浜」があったり
博物館へ行ってきました。


今年取り壊されてしまう松菱の包装紙があったり
博物館へ行ってきました。


そんな中に旧浜松市の市旗(見本)を発見しました。
博物館へ行ってきました。



その市旗にある市章。これの設計図(現物)が展示されていました。
博物館へ行ってきました。



市章を見て思ったこと。。。
浜松は他ではあまり見られない文化をもっている。
それは法被の大紋と凧印の違い。
通常、祭りで法被の大紋はその土地の神社にある紋と同じだったりするが浜松のそれは違う。
法被と凧印が違う。
凧印を全部憶えたからといって法被の大紋を見て即座にどこそこの町とわかるわけではない。
実に面白い。


凧は凧屋さんによって遠くに揚がっている凧が一目でわかるように考えられている。
法被は副紋を使うことによりその町が表現されていたりする。


単純に町名を凧や法被にストレートに表すのは他人からすればわかり易いかもしれないが
そこに一捻りでも二捻りでもしている町があるとその町に興味がわきませんか?
さらにいうならその捻り方が洒落をきかせたりして上手い町はやるなーと思う。。。


ずいぶん話題が逸れましたが、
大人になって博物館に行くと子供の頃には知らなかった歴史的背景との兼ね合いで新たな発見があって面白かった。
時間のある方は是非とも博物館に行ってみては?

(Y)



同じカテゴリー(図案)の記事
千歳飴の(裏)
千歳飴の(裏)(2014-12-18 01:21)

千歳飴の
千歳飴の(2014-12-16 00:56)

先月の事ですが
先月の事ですが(2014-12-14 16:35)

凧じるしの②
凧じるしの②(2014-05-23 01:03)

そこで問題です
そこで問題です(2014-03-01 02:09)

凧じるしの
凧じるしの(2014-02-25 23:46)


 
この記事へのコメント
Y氏。さすがやることが早いですね。


 浜松市章は家紋風に言うと「対い波(むかいなみ)」というあたりでしょうか。

 今まで市のマークだと思って、民間人としての行政に対する潜在的な「距離感」がありましたが、全国の都道府県章・市町村章と並べてみると、秀逸な図案だとわかります。

 一説には考案したのは一瀬堂さんとすみたやさんとの話(『浜松風土記』)。となると、秀逸な図案の根底には凧印という文化があるのでは…。

 などと、現代に失われつつある浜松の図案文化の勃興期に想いを馳せつつ。
Posted by 善 at 2011年05月30日 23:32
浜松の図案文化。
住んでいる人間はその良さに早く気付かなければいけませんよね。


凧屋さんのように歴史を引き継いでいる職人さんは浜松の文化的センスを持っていると思います。
町の意向を伝えてあとは職人任せが一番なんです。
素人が考えるより明らかに良いモノが出来ます。


これは法被にしても言えることで、襟の文字に数十年前から勘亭流(江戸文字)がよく使われていますが、浜松の消防組が着ていた火消し半纏には既に江戸文字が見られました。
その時代にも凧の法被には敢えて他の書体を使っていたあたりに職人さんの浜松の図案文化への誇りがあったんじゃないかと想像できます。


祭り:粋で鯔背=江戸というイメージが一般的にあるようですが祭りは全国津々浦々にあってその土地土地で育まれた文化の上にあるものであり、外来文化が合うことは希なことだと思います。


外来の文化が取り沙汰されている現在、浜松の文化を再考する必要があるんじゃないかと思います。
Posted by Y at 2011年05月31日 13:30
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
博物館へ行ってきました。
    コメント(2)