2012年02月16日22:24
続・戦後の経緯≫
カテゴリー │歴史
凧まつりの歴史研究にあたり、公式には語られていなかった戦後の沿革。
学生の当時でしたから、大学の先生の指導を得ながら、夏休みや春休みに浜松へ戻ってきては、ヒヤリングをしたり、中央図書館の郷土資料室へ通ったり。
5日間だった
練兵場だった
旧町内だった
「凧まつり」だった
・・・という、戦前・戦後世代の昔話の検証から始めました。
つまり、「いつ」変わったのか?という事の確認。その年代を明らかにする作業から開始。
1947(昭和22)年、再開。「浜松連合凧揚会本部」再結成。
1950(昭和25)年、「浜松まつり本部」成立。「浜松まつり」開始。
1963(昭和38)年、開催期間を3日間に短縮。
1967(昭和42)年、凧場移設。旧練兵場をやめ中田島の広場へ。
1970(昭和45)年、浜松連合凧揚会本部解散、浜松まつり本部傘下の「凧揚部」に改組。
1974(昭和49)年、卸本町初参加。
1979(昭和54)年、ワッペン制度導入。
「浜松まつり」の名前を被せられ、期間が短縮され、場所を移され、本部組織が改組され・・・。
・・・という具合に、徐々に徐々に、少しずつ、「昔」の凧まつりが失われ「今」の浜松まつりになっていく・・・その過程が明らかになっていきました。
これでは、まだ、個々の「事件」の年代を順に並べたにすぎません。それぞれの事柄について、どういう経緯でそうなったのか、資料や聞き取りによって因果関係を考察して行くわけです。
(年代と事件の丸暗記の歴史教育が無意味・・・といわれるのもわかります)
細かい話・・・と言われるところかもしれません。
それでも、こうした経緯を知れば知るほど、自分だけでなく浜松の各町内のみんなに伝えて、理解し、共通の認識としていく事が必要だなと、そう思うようになっていった次第です。
(画像はイメージです・・・)
パンフレット『浜松まつり’84』より
(善)
学生の当時でしたから、大学の先生の指導を得ながら、夏休みや春休みに浜松へ戻ってきては、ヒヤリングをしたり、中央図書館の郷土資料室へ通ったり。
5日間だった
練兵場だった
旧町内だった
「凧まつり」だった
・・・という、戦前・戦後世代の昔話の検証から始めました。
つまり、「いつ」変わったのか?という事の確認。その年代を明らかにする作業から開始。
1947(昭和22)年、再開。「浜松連合凧揚会本部」再結成。
1950(昭和25)年、「浜松まつり本部」成立。「浜松まつり」開始。
1963(昭和38)年、開催期間を3日間に短縮。
1967(昭和42)年、凧場移設。旧練兵場をやめ中田島の広場へ。
1970(昭和45)年、浜松連合凧揚会本部解散、浜松まつり本部傘下の「凧揚部」に改組。
1974(昭和49)年、卸本町初参加。
1979(昭和54)年、ワッペン制度導入。
「浜松まつり」の名前を被せられ、期間が短縮され、場所を移され、本部組織が改組され・・・。
・・・という具合に、徐々に徐々に、少しずつ、「昔」の凧まつりが失われ「今」の浜松まつりになっていく・・・その過程が明らかになっていきました。
これでは、まだ、個々の「事件」の年代を順に並べたにすぎません。それぞれの事柄について、どういう経緯でそうなったのか、資料や聞き取りによって因果関係を考察して行くわけです。
(年代と事件の丸暗記の歴史教育が無意味・・・といわれるのもわかります)
細かい話・・・と言われるところかもしれません。
それでも、こうした経緯を知れば知るほど、自分だけでなく浜松の各町内のみんなに伝えて、理解し、共通の認識としていく事が必要だなと、そう思うようになっていった次第です。
(画像はイメージです・・・)
パンフレット『浜松まつり’84』より
(善)