陣屋の配置

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先日の「浜松まつり総会」で、いろいろな資料と共に、今年の陣屋配置図が配られました。



 「陣屋」は名のとおり、「凧合戦の戦場」である「凧場」のいわば「前線基地」。


 凧場に面して各組が陣取ったわけですね。


 陣屋は練兵場時代(1966(昭和41)年以前)には、四方に杭を打ち、旗を立てたものだったと聞いております。数少ない写真からもその様子がうかがえます。

 「凧揚祭」は「凧合戦」をメインに据えた祭だったから、そういう名前が自然とつけられていったのだろうと、想像します。



 中田島の現在地に移設されて以降、具体的な年代は判りませんが、現在のテントになった次第です。


 で、その陣屋も凧場に面してあった。南側、西側。参加組数が増えるに伴い、東側、北側と4方取り巻く形になっていったように記憶しています。


 ところが1990(平成2)年、浜松まつり本部は、陣屋を凧場南西側に制限、入りきらない分を駐車場部分へ配置しました。


 当時の新聞記事で、浜松まつり本部会長の栗原市長(当時)の案として報じられていたように記憶しています。違っていたらごめんなさい。


 1990年は大雨の年、3日の晩から5日の夕方まで降った年。NHK衛星放送の生中継が入った年。新参加町が10町も増えて、136町の規模になった年。

 このあたりから、それまでの風景が一気に崩れていったなぁと感じているところ。


 1995年には、すべての陣屋が駐車場部分へ押し出されました。


 数年前から、凧場内と駐車場部分と、再びローテーションされるようになりましたが。


                    (善)





小池弘編 写真集『浜松祭り』(IKE、1981年)より
陣屋の配置
1980年の凧場陣屋、南裏側より東北方面を撮影したもの。



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