戦後の経緯・浜松まつり本部

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さて、1947(S22)年に再開した凧揚祭。


 主催は戦前と同じ、浜松連合青年会がつくる「浜松連合凧揚会本部」でした。戦前には「浜松連合凧揚会統監部」と言いました。


 ところが、1950(S25)年に、浜松商工会議所が「浜松まつり本部」を設けて、凧揚祭と同期間、商工祭をやることになりました。
 「浜松まつり」の名称はこの時からのものです。


本部は2つ。

 戦前から続く「浜松連合凧揚会本部」と、この年に出来た「浜松まつり本部」。


 浜松まつり本部は商工会議所内に設置。

 総務部・凧揚部・演芸部・商工祭部・農業祭部・宣伝部の6部を設けたとのこと。


 ここの凧揚部には連合凧揚会本部の本部長があたっており、2本部並立の状態でありながら、形として浜松まつり本部が全てを統括していたことになる。

 という理解でいいのだと思います。


 ここから、商工会議所側の「浜松まつり本部」と、戦前から続く「浜松連合凧揚会本部」が並立する体制が20年間続きました。


 ただ、全体の行事名称を「浜松まつり」としたことにより、後世、たいへんな苦労をすることになります。

 実際は、2つの本部が主催する2つの行事を同時並行的に開催している、という状態でありながら、名称上は「一つのまつり」としたために、一昨年「中止」の際に議論になった「誰が主催か」という問題がつきまとうことになりました。


コチラには当時の経緯が詳しく載っています。
戦後の経緯・浜松まつり本部
荒川章二(共著)『浜松まつり―学際的分析と比較の視点から―』(岩田書院、2006年)




            (善)


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