2011年06月21日23:58
総会迫る②「中止」の問題点≫
カテゴリー │中止2011年
アンケート調査は、全部で設問が9。
そのうち問7までは選択による回答(およびその根拠)。今年の中止を踏まえて、来年の日程について3日間のままか拡大すべきか、というような設問。
私の立場は、祭は代替え可能な「イベント」じゃない。代替え不可能だからこそ力も入る。代替え可能となれば、祭としての重みはなくなりますね。という立場。
雨の降った1990(平成2)年、NHK衛星放送が中継したこの年、3日の夕方から5日の昼過ぎまで大雨でした。3日間の内、実質丸2日つぶれたこの年も「翌年の日程の延期」はしていないわけです。
問8、問9は自由意見欄。問8では来年の運営について、問9では全般の運営について。
まず問題はどこか。
今年の中止は本部が決めた。本部=主催者であり、主催者の権限で決めた。というのがあちらの立場でしょう。
こちらとしては。
各町内に独立した組織(凧揚会)があり、それぞれの役員はそれぞれの町内の行事の主催者である。これ、現実の姿。
各町内には個々の日程にもとづく凧揚祭があり、それを連合した形で全体の凧揚祭がある。これもまた現実の姿。
つまり、「祭の運営機構・組織が、実態に即していない点」に問題があるのであります。わたしら組長は、町内の祭行事の主催責任者であります。
もう一つ、行事構成。
わたしらが執り行っている行事は、初日朝の祈願祭、凧揚げ・凧合戦・屋台・初練り・町内回り・中央練りなどなど。これらを3日間の日程で執り行うというもの。
しかしながら、公式の=制度上の行事日程は、20近くある「浜松まつり」の行事群の中の「凧合戦」「屋台引き回し」に「参加している」という扱い。
つまり、「おまつり広場」の参加団体があるのと同じように、「凧合戦」の参加団体であり、「屋台引き回し」の参加団体である、というのが制度上の扱いであります。
こちらもまた、現実の姿、実際の姿を捉えていない。そんなの「凧」がかわいそう。
行事構成上、少なくとも各町内が執り行っている行事は「各町内の凧揚祭」、それを連合した形での「全体の凧揚祭」、このように認識すべきです。これが実際の姿なんだから。
運営機構も、「各組が主催者/それの連合体としての実行委員会」こういう形がベストじゃないかと。
このような立場で、アンケートには回答いたしました。総会当日、何がどうなるか、どう来るか、どう出るか、冷静に対応していきたいと、こう思う次第であります。
(善)
そのうち問7までは選択による回答(およびその根拠)。今年の中止を踏まえて、来年の日程について3日間のままか拡大すべきか、というような設問。
私の立場は、祭は代替え可能な「イベント」じゃない。代替え不可能だからこそ力も入る。代替え可能となれば、祭としての重みはなくなりますね。という立場。
雨の降った1990(平成2)年、NHK衛星放送が中継したこの年、3日の夕方から5日の昼過ぎまで大雨でした。3日間の内、実質丸2日つぶれたこの年も「翌年の日程の延期」はしていないわけです。
問8、問9は自由意見欄。問8では来年の運営について、問9では全般の運営について。
まず問題はどこか。
今年の中止は本部が決めた。本部=主催者であり、主催者の権限で決めた。というのがあちらの立場でしょう。
こちらとしては。
各町内に独立した組織(凧揚会)があり、それぞれの役員はそれぞれの町内の行事の主催者である。これ、現実の姿。
各町内には個々の日程にもとづく凧揚祭があり、それを連合した形で全体の凧揚祭がある。これもまた現実の姿。
つまり、「祭の運営機構・組織が、実態に即していない点」に問題があるのであります。わたしら組長は、町内の祭行事の主催責任者であります。
もう一つ、行事構成。
わたしらが執り行っている行事は、初日朝の祈願祭、凧揚げ・凧合戦・屋台・初練り・町内回り・中央練りなどなど。これらを3日間の日程で執り行うというもの。
しかしながら、公式の=制度上の行事日程は、20近くある「浜松まつり」の行事群の中の「凧合戦」「屋台引き回し」に「参加している」という扱い。
つまり、「おまつり広場」の参加団体があるのと同じように、「凧合戦」の参加団体であり、「屋台引き回し」の参加団体である、というのが制度上の扱いであります。
こちらもまた、現実の姿、実際の姿を捉えていない。そんなの「凧」がかわいそう。
行事構成上、少なくとも各町内が執り行っている行事は「各町内の凧揚祭」、それを連合した形での「全体の凧揚祭」、このように認識すべきです。これが実際の姿なんだから。
運営機構も、「各組が主催者/それの連合体としての実行委員会」こういう形がベストじゃないかと。
このような立場で、アンケートには回答いたしました。総会当日、何がどうなるか、どう来るか、どう出るか、冷静に対応していきたいと、こう思う次第であります。
(善)