2015年06月04日00:06
山崎源一編著『浜松凧屋台』74頁より。1983年(昭和58年)の凧前の刊行。
風は結構強そうで、それゆえ田町は2帖なんでしょう。
となると、佐藤中町のはデカいですね。少くとも6帖か。
(善)
80年頃
カテゴリー │浜松凧屋台
山崎源一編著『浜松凧屋台』74頁より。1983年(昭和58年)の凧前の刊行。
風は結構強そうで、それゆえ田町は2帖なんでしょう。
となると、佐藤中町のはデカいですね。少くとも6帖か。
(善)
2015年05月28日01:07
80年頃 5帖
カテゴリー │浜松凧屋台
山崎源一編著『浜松凧屋台』、1983年(昭和58年)。73頁より。
東田町の凧と紺屋町の法被。
この東田町の凧。マス目をだいぶ抜いていますね。風が強かったんでしょうね。
マス目の数を数えると。
こりゃ昔の5帖ですね。
力骨(ちからぼね)、2マス置きに10本。
今は6帖と同じ、3マス置きに8本。
(善)
東田町の凧と紺屋町の法被。
この東田町の凧。マス目をだいぶ抜いていますね。風が強かったんでしょうね。
マス目の数を数えると。
こりゃ昔の5帖ですね。
力骨(ちからぼね)、2マス置きに10本。
今は6帖と同じ、3マス置きに8本。
(善)
2015年05月26日00:47
山崎源一編著『浜松凧屋台』、1983年(昭和58年)の凧前の刊行。
従って、写真はそれ以前のもの。
ただ、この風景、なんとなく記憶にあるような気もします。
下池川町の紺地白抜きの凧が、奥の方で揚がっていますが。
80年の5月3日にこんな絵を見た気がするのですね。
風もないのに、下池は遠くまで持っていったなァと、子供心に感じた記憶。
それが80年。ちょうど従兄弟の初だったので年代は判るのですが、この埋もれかかった記憶と、この写真が同一風景を示しているとも限らず。
つまりはほとんど根拠らしい根拠のない推測。
いい写真ですね。
風が少ないと、凧が大きい上に近いので、わりと多くの凧がファインダーの中に入ってくるのです。
サムネイル版。
(善)
80年か?!
カテゴリー │浜松凧屋台
山崎源一編著『浜松凧屋台』、1983年(昭和58年)の凧前の刊行。
従って、写真はそれ以前のもの。
ただ、この風景、なんとなく記憶にあるような気もします。
下池川町の紺地白抜きの凧が、奥の方で揚がっていますが。
80年の5月3日にこんな絵を見た気がするのですね。
風もないのに、下池は遠くまで持っていったなァと、子供心に感じた記憶。
それが80年。ちょうど従兄弟の初だったので年代は判るのですが、この埋もれかかった記憶と、この写真が同一風景を示しているとも限らず。
つまりはほとんど根拠らしい根拠のない推測。
いい写真ですね。
風が少ないと、凧が大きい上に近いので、わりと多くの凧がファインダーの中に入ってくるのです。
サムネイル版。
(善)
2015年05月02日00:23
祭の風景
カテゴリー │浜松凧屋台
しばらくご紹介している『浜松凧屋台』。山崎源一編著。
1983年(昭和58年)の凧前の刊行。
従って、写真はそれ以前のもの。最新でも1982年のはず。
70年代から80年代はじめ頃ではないか?と推測する次第。
その本の72頁73頁の見開き。
当時の名場面がこのように並んでいるのであります。
左の73頁も、凧まつり終了後になりますが、ボチボチのペースでご紹介するつもりです。
これが、本年、凧前の最後の書き込みになろうかと。
私自身、某組の副組長の立場で参戦しますので、写真機もって歩くというわけにも行きません。
が、少しでも凧揚祭の全盛期を取り戻すような、そんな風景を目撃できればなァと思います。
また、当事者の一人として、そんな姿を作り出せれれば嬉しい限りです。
2015年5月1日深夜 3日間の晴天を祈りつつ
(善)
1983年(昭和58年)の凧前の刊行。
従って、写真はそれ以前のもの。最新でも1982年のはず。
70年代から80年代はじめ頃ではないか?と推測する次第。
その本の72頁73頁の見開き。
当時の名場面がこのように並んでいるのであります。
左の73頁も、凧まつり終了後になりますが、ボチボチのペースでご紹介するつもりです。
これが、本年、凧前の最後の書き込みになろうかと。
私自身、某組の副組長の立場で参戦しますので、写真機もって歩くというわけにも行きません。
が、少しでも凧揚祭の全盛期を取り戻すような、そんな風景を目撃できればなァと思います。
また、当事者の一人として、そんな姿を作り出せれれば嬉しい限りです。
2015年5月1日深夜 3日間の晴天を祈りつつ
(善)