15/3/28市内某所②

カテゴリー │2015年


15年3月28日。


 池町・一瀬堂さんにて。


 納品前の凧。





     (善)



 

15/3/28市内某所

カテゴリー │2015年


2015年3月28日



 鴨江すみたやさんにて。


 完成間近の凧。


              (善)



 

凧場の話

カテゴリー │凧場

凧場が、現在の場所(浜松市南区白羽町、通称「中田島」)に移設されたのは1967年(昭和42年)。

(コチラご参照ください)
http://takoken.hamazo.tv/e5640205.html 2014/9/26記事

 移設当時から現在までに、全体の範囲は変わっていませんが、内部での駐車場と広場との割合が変わっています。

 つまり、凧場を拡げて駐車場を狭めています。記憶では2回程度。


 凧合戦に参加する組が、最も少ない時と比較して約4倍になっていますので。


 当時の空中写真を見つけましたのでご紹介。

http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do
「国土地理院 地図空中写真閲覧サービス」より

1976年(昭和51年)2月3日 


判りにくいので、凧場の範囲を線で囲む。


 現在と違って、周辺の砂防林の植栽もなかった事がうかがえます。

 以下、順次整備が進んでいます。


1981年(昭和56年)6月7日


1983年(昭和58年)10月24日




 今の凧場は、この写真当時の駐車場部分にまで拡げられており、かえって駐車場が制限されてしまうという状況が生まれました。




                (善)





 

報告(第4回)⑥

カテゴリー │凧合戦

凧揚祭は凧合戦の祭。

 凧揚祭を通じた町内対抗戦。



 ではその中で、初凧は?

 初凧も合戦で活躍したのであります。




小池誠二「凧揚げ会の前後」(浜松史跡調査顕彰会編『遠江』5号、1981年8月)より

(コチラもご参照ください)
http://takoken.hamazo.tv/e5194613.html(2014年3月11日記事)
http://takoken.hamazo.tv/e5978208.html(2015年3月10日記事)


 「初凧の残骸を持って帰り、善戦のおもかげを家人に伝える・・・」



 5日の晩には初凧を、その家の前へ返す(飾る)のは、現在でもやっている町はやってますね。 

 「合戦してきたぞ!」ということを物語るような、ちょっと傷のあるくらいがカッコイイです。


             (善)







 

報告(第4回)⑤

カテゴリー │凧合戦

凧揚祭は凧合戦の祭。


 凧合戦という行為を通じた町内対抗戦がこの祭のキモ、という主張であります。

 そうなると、「じゃぁ初凧はどうなんだ?」という反論が、そろそろ来る頃。

 そこでこんな文章を紹介。

小池誠二「凧揚げ会の前後」(浜松史蹟調査顕彰会編『遠江』第5号、1981年8月)より


 前後の文脈なしですみません。

(コチラもご参照ください)
http://takoken.hamazo.tv/e5194613.html(2014年3月11日記事)

 これは、戦前の浅田町での凧揚祭を経験された筆者が、当時の記憶を綴ったもの。
 「凧揚会」とは凧揚会組織ではなく、凧揚祭行事の事を指しています。


 初凧も、当然のごとく合戦に用いていた事をうかがわせる一文。

 施主が凧場に行く、ということもなく。

 だからこそ、お預かりした凧で立派に参戦してきます、との宣言をしたのだろうと、推測されます。



         (善)






 

報告(第4回)④

カテゴリー │凧合戦

桃の節句も過ぎてしまい、ただいま3月4日の晩。


 2カ月後は5月4日の晩だよ。早いなぁ。

 幼少の頃は待ち遠しくてしょんなかったですけどね。


 さて。

 先月の第4回報告会、テーマは「凧合戦」。

 このブログのカテゴリーにも設けましたよ。

 なのに提灯の写真とは。




 凧揚祭は凧合戦がメインの祭。

 浜松の凧の特徴は、絵のことでいうと、各町内ごとの印が定まっているところにある。

 初凧の家紋と名前は、図案上、凧印程の重要性はない。家紋と名前がなくても、凧印が描いてあればよい。
 逆に、家紋と名前だけで、凧印なしというわけには絶対にいかない。

 つまりそれは、凧合戦を通じた町内対抗戦、という本質が、脈々と流れているからである。


 凧印に用いられる図案は、法被にも提灯にもそれぞれのアレンジで表現されている。
 だからこうして、複数を集めて眺めるのが面白い。・・・はず。

 よそとの違いこそ、「対抗戦」の本質だからである。


 この中に自分の組が載っていると、「よしよし」と心の中で安堵し、載っていないと凄く残念。

 対抗する同じ土俵に居たいのである。


         (善)





 

報告(第4回)③

カテゴリー │凧合戦

もう3月ですよ!


 先日の第4回報告会がもう先月の話。

 テーマを「凧合戦」として、「凧揚祭の本質は凧合戦である」と指摘しております。

 凧合戦という行為を通じて、町内対抗戦を繰り広げているのであります。


 対抗するには「自分の組」だけでは成り立たない。「よその組」があって初めて成立するもの。

 同じ土俵の中で、繰り広げられるもの。



 こんな法被を並べた絵も出して、ご説明しました。


 自分の組が出てこないと、寂しいでしょ。

 という話も。


 想像してみてください。

 凧場へ行ったら、他がみんな揚がっているのに、自分の組だけが来てもいない、などという状況。

 耐えられんですよ。たぶん。
 凄い焦燥感。
 「やァなんで来てないだバッカヤロ・・・」と方言丸出しで(流暢な浜松方言で)焦りますね。



           (善)