「浜松まつり総会」反省②

カテゴリー │中止2011年

6月23日(木)の「浜松まつり総会」での質問・意見陳述。

 行事構成の問題と併せて、組織の問題についても指摘しました。

 制度上、「浜松まつり本部」が「浜松まつり」の主催者。「浜松まつり」の行事である「凧合戦」と「屋台引き回し」に参加している参加団体が各自治会。これが現在の組織。

 つまり「浜松まつり本部」が主催して各自治会が参加する、という図式。

 これもまた実体を捉えていない。

 各自治会は「参加団体」とされるが、各町内の凧揚祭を主催しているのは各組(あるいは各凧揚会)であり、これを自治会が後援しているというのが実際の姿。

 主催者が174組あるのだから、174人の代表者による会議こそが、浜松凧揚祭を統括する主催団体になるべきである。これが今回の主張のキモ。

 現状では、われわれ各町内の人間が「凧揚祭をどうしていくべきか」という議論をする場さえない。祭のあり方の決定に関与できるのは「浜松まつり本部」とその部局の「総務部」「凧揚部」のみ。

 祭の現場にいない方々だけが立案できてしまうから、祭を歪めかねない変な案も出てきてしまうのでしょう。 今回は中止で流れたものの、「屋台100台」とか「おはやし披露」だとか。

 そしてその立案に対して関与できないのが各町内。決定事項にたいし、些細な要望をする程度しかできないのが現在の仕組み。

                       (善)



 

「浜松まつり総会」反省①

カテゴリー │中止2011年

ひと月過ぎましたので、忘れないためにあの総会で確認できたことを書いてみます。


 「浜松まつり」の全行事名をお答えいただきたい、と質問しました。
 「凧合戦」「屋台引き回し」を含む17の行事すべてを指す、ということを確認しました。事務局の観光交流課課長にその場でご返答いただきました。

 ですが。

 実体としては、各町内は、「一連の行事」として3日間の行事を執り行っています。

 ところが制度上(行事構成上)は、「凧合戦に参加する」「屋台引き回しに参加する」となっています。浜松まつり本部主催の2つのイベントにそれぞれ参加団体として参加している、というものです。これが実体とかけ離れている、と指摘しました。

 各町内では「2つのイベントに参加している」わけではなく、一つの(一連の)行事を主催者として執り行っているわけで、これを「各町内による凧揚祭」と認識すべきだ、と指摘しました。これが実体であると。

 各町内による「凧揚祭」が174あり、連合したものとして「浜松凧揚祭」があり、浜松凧揚祭を核として「吹奏楽パレード」や「民謡」や「太鼓」などなどの各種イベントとがあり、全体を「浜松まつり」があると考えればよい、これが現実の姿だ、と指摘しました。

                          (善)

 長くなるので続きはまた今度。



 

あれからひと月

カテゴリー │時事

こんばんは。

 かの「2011年度 浜松まつり総会」から早くも1か月が過ぎました。世の中すっかり夏休みです(学徒・生徒諸君だけですが)。

 総会前のアンケート、事態が事態だったとはいえ、これまでの本部および総務部・凧揚部の流れからすれば、画期的な出来事でした。

 そもそも、この祭、どうあるべきかの議論が全体のレベルで行われたことがない。もちろん、本部や凧揚部などの各部局では行われていることでしょう(・・・推測ですが)。
 震災後も「やるべきかやらざるべきか(そこが問題だ)」各組責任者レベルまで議論が降りてこなかった。

 第一、意見集約の場がない、つまり民主主義的でないのですわ(それだけにアンケートは「意見を聞いただけ」ですが、それでも異例中の異例)。

 民主主義の基本は「オレにも一枚かませろ」ですからね。1880年台(≒明治10年台)に「自由民権運動」というのがありましたね。幕府倒して「世直しだ」と新政府ができたものの、人民が国の決定から疎外された。だから「議会開設」を要求した。
 まつり本部のもとで、凧揚部がすべてを決定していて、各町内が祭の在り方の議論から疎外されているのと、よく似ていますね。各町内の連合体としての祭という現実・実体がありながら連合会もなければ代表委員制もない、ここが問題。


 で、あれからひと月が経ったのですが、どこか会合開いたブロックなぞあるのでしょうか。あるいは、本部や凧揚部では何かが進行しているのでしょうか。各ブロックや町内の動向など、状況に動きがございましたら。どなたさまでもご連絡ください。

                       (善)



 

『浜松市制百周年記念誌 ももとせ』

カテゴリー │書籍・映像

ウチのオクサンが入手してきました。7月5日頃だったかと。

『広報はままつ(全市版)』7月5日号の「知ットク情報 おしらせ」欄に2行、載っていたとのことです。

  市制百周年記念誌「ももとせ」ができました
  市役所・区役所・公民館・市民サービスセンターで配布しています。

(『浜松市ホームページ』>情報のひろば>広報・ガイドブック>広報はままつ全市版 より引用)



 以下目次より抜粋しますと、

 「浜松百彩」・・・現在の風景の写真、凧もあり
 「浜松市民百科事典」・・・50音順で100項目の解説(「浜松まつり」もあり)
 「浜松市百年の歩み」・・・年表と写真
 「名誉市民・歴代市長・歴代市議会議長」・・・読んで字のごとく
   などなど。

  付録DVD『浜松市制百周年記念 はままつ百年の交響』


浜松市編『浜松市制百周年記念誌 ももとせ』(浜松市、2011年7月)

                             (善)



 

『遠江國十二郡千六十三村圖』

カテゴリー │書籍・映像

先週の日曜(7/17)、掛川城へ行ってきました時に、二の丸御殿の入り口で販売していたのを衝動買い(それなりに見本をじっくり観察はしましたが)。

 「掛川藩士平川之義が弘化3(1846)年に描いたものを慶応4(1868)年に縮小再編したもの」を、10年前に掛川市教育委員会が複製し発行したもの・・・との事です。



 元の地図がケッコウ破けていたり。「浜松宿」周辺も穴が開いていて、「浜松」「田町」「板屋町」「新町」(この3町なぜか宿の外側に描いてある)や「馬込」「八幡」など、ほとんど判読不可能。

 でも、近世の村名や郡名が把握できますからね。掛川城二の丸御殿の受付で1500円(くらいだったと思う)。解説付き。

 『遠江国十二郡千六十三村図(複製)』(掛川市教育委員会、2001年)

                        (善)

 浜松宿の西側に「井塲」(伊場)が二つ表記してあります。おそらく上の方は「東鴨江」(現在の鴨江町)のマチガイかな・・・。ま、掛川藩で描かれたものですから、天竜川のさらに西はチト曖昧な認識だったかも。あるいは、1968年の縮小再編時に誤記したのかも。



 

『保存版ふるさと浜松』②

カテゴリー │書籍・映像

金曜日(7/22)に谷島屋さんから届きました。

 写真集の中身の写真を載せるのもどうかと思い、結局チラシで掲載です。チラシが何回か入りましたね。凧の写真をメインにしたチラシが。

 

 本などを引用した場合、

  著者名『 書 名 』(出版社名、発行年)

と、「典拠」を明記するルールがあって、それに則って表記を心掛けているのですが。そしてそれはその書籍の「奥付け」(たいていは裏表紙の裏にある)を見れば判るのですが。こちらにはそれが曖昧でチト困る。もちろん各項目ごとの執筆者名は載っているのですが、執筆を依頼した(執筆させた)人、つまり編者の名がないのね。

 パラパラっと全体を眺めたのですが、北遠や引佐郡など新市域の昔の風景もなかなか新鮮ですね。


 『保存版ふるさと浜松』(郷土出版社、2011年)

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タグ :浜松写真集


 

歩行者用の信号機が…

カテゴリー │言葉・方言

えー。カタい話が続いたのでカタくない話を。


街を歩いていて信号機のある横断歩道を渡ろうとしている、そんな前提で。

「青」の歩行者用の信号機が点滅を始めた時のネイティブな浜松の人々のセリフ。


「はあ信号んパカパカしてるでちゃっととんでかにゃ間に合わん」


(訳)「もう信号が点滅しているから直ちに走っていかなければ間に合わない」

口語をそのまま文字に落とすと実に読みづらいですが。

「パカパカ」ってこの辺の言葉みたいです。どのへんまで通じるのかは知りません。

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解説

【はあ】
(品詞)副詞
(意味)もう、すでに

【ん】
(品詞)助詞(主格の格助詞)
(意味)が

【パカパカ】
(品詞)副詞
(意味)点滅している様子

【で】
(品詞)助詞(原因・理由などの接続助詞)
(意味)から

【ちゃっと】
(品詞)副詞
(意味)ただちに

【とぶ】
(品詞)動詞
(意味)走る

タグ :方言浜松


 

9月定例会 予定

カテゴリー │メンバー

9月定例会予定。


9月3日(土)14:00~。

1.研究報告

2.その他報告

3.評議事項

4.連絡事項

5.日程

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