95%復活!!

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令和5年3月25日(土)『静岡新聞』32面より




 相変わらず「解禁」という言い方するね静岡新聞。




 「前年まで禁止していた」って。




 記事の論調が、「なんか悪いことやってる」前提なんだよな。




 組織委員会の決定との記載ですが。




 さぞかし大変なご決断であったとお察しします。




 とにかく物事を決めるのは大変だ。




 あらゆる各方面からの「圧」があることでしょう。




 「圧」というのは「政治的圧力」だけではなく、要望(そのなかには熱望も!?)やらを含むいろいろな「圧」。




 そして、クレーマーに近いであろう「アンチ」の存在。これも心理的には圧力になる。




 クレーマーが警察に連絡すれば、警察も動かざるを得ないしね。
(そこも含めて心理的な圧力もあろうかと)




 そう考えると、「第2類相当」の感染症とされている中での落としどころとしては。




 こうならざるを得なかったのかなァとも思いますわ。




 記事によると、広野委員長
 「コロナ前の規模の95%は復活できると思う」と。




 落としどころ。
 妥協点。

 そこに添えられたコメントの一字一句をあげつらうつもりはありませんが。



 「規模」をどう定義するかって難しいね。





     (善)



問題はこっち↓

令和5年2月19日(日)記事「なぜ5月8日なのか」
https://takoken.hamazo.tv/e9606841.html




 ところで。


 「酒抜きの凧揚げまつりって、あなたにとってどんな感じですか?」

 と聞かれたら。


 高校生だった30数年前の私だったら。

 「別にいいんじゃないの」(自分自身は)

 となったでしょうね。飲まなかったから。



 今は、、、なァ、、
 、、、ちょっと辛いかなァ、、、(笑)


 「ちょっとか??(笑)」


 酒を飲まない方でも、飲んで楽しくなっている雰囲気がない中でのまつりは、やはり違和感あるでしょうね。



 そういう意味で「95%」という表現は、あたっているかもしれませんね。



 いまや「酒が前提」の私には、「55%」くらいか。



 

なぜ5月8日なのか

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(令和5年3月23日(木)、記事の一部を修正)




「新型コロナウイルス感染症」の危険性の分類。



 「第2類相当」から「第5類」へ移行。


(『ウィキペディア』「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」参照)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87%E3%81%AE%E4%BA%88%E9%98%B2%E5%8F%8A%E3%81%B3%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87%E3%81%AE%E6%82%A3%E8%80%85%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B




 第2類相当から第5類へ移行。



 けっこうなことじゃありませんか。



 こりゃ、ようやく今年は通常の「凧」ができると思いきや。










 「5月8日から」





 これが1/26(木)の記事
https://news.yahoo.co.jp/articles/72411f1a9367f35830e801802b1d323d99546d3f
(共同通信電子版2023/1/26/18:38「コロナ5月8日『5類』引き下げ 政府方針、27日に正式決定」)






 は????????







 ・・・であります。






 「年度替わりの4/1でいいじゃんか」

 「それでいて、マスクは3月13日から云々とか。わけわからんよ」

 との声が聞こえてきそうです。






 昨年5月3~5日と今年の5月3~5日とで、感染症の分類上は状況に変化なし、というのが法に立脚する対応。




 となると。




 今年も昨年同様に飲食は控えいなさい、てな判断になってしまいそう。






 岸田政権、浜松への当てつけか????




      (善)



 「こりゃ次の選挙、自民党はないな」




 このくらいの風刺表現くらいしたいぞ。



 

令和4年大晦日

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マスクしたまま約3年・・・。


 なんだか大変な社会になってしまいました。

 ウクライナ問題、日本国の緊縮財政と増税、安倍晋三暗殺・・・

 これらの世界的な動きと凧揚げまつりは、実は無関係ではない。

 どう関連付けられるべきか、まだよくわかりません。


 ただ、日本社会の現状を見るにつけ、マスクとの決別(着用自由化)は、そう簡単でもない。

 なぜなら、他国のように「着用義務」を課す事をせず、個人の倫理に問いかる事によって着用させたから。倫理観に食い込んでしまったから。

 なんということでしょう・・・

 これまでの感染の「波」を見る限り、マスク着用要請も行動自粛要請も、それほど効果があったとも思えない。

 それでも(私も含め)着用する理由はただひとつ。「世間」から「後ろ指」をさされたくないから(外出自粛も同様)。


 いずれにせよ、早く「正常化」しないかなァと願うばかりです。


 皆さまよいお年をお迎えください。来年はよい形で凧揚げまつりが開催できますよう。
 

  (善)







 

日本一の

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ご無沙汰しております。


 新型の感染症騒ぎで、商業イベントも祭もなく、私的なレジャーもままならない日々が続いております。


 漠然とした不安のまま、日々過ごしておる次第です。




 ところで。


 このところの暑さは、「浜松」の名を全国ニュースの場へと引きずり出しました。


 しかも、あの名古屋を抑えて日本一に。


 まことに・・・なんと申しましょうか。話のネタにはなりますが。




ウェザーニュース20/8/17(月)12:18より。



 午前中には。

 「40.0℃を超えた」「2日連続の40.0℃超えはこの夏初だぞ!」とニュースが流れたのですが。




ウェザーニュース20/8/17(月)11:48より。


 わずか30分後に、歴代日本一に・・・。



 11:00の気象庁の天気予報では39℃。


 「名古屋と並ぶ暑さ」という事だったのですが。


気象庁HPより。


 あっさりと(?)気温は上昇し、結果「歴代最高記録」に並んでしまったのでした。



 京都や名古屋のような内陸の気候でもないのになァ、と。



 天竜区(内陸部)の、佐久間や水窪や船明(ふなぎら)ならありえるか、とも思ったのですが。


 上記記録は「中区」のものだとか。




 でも。


 二俣のお祭りは、この時期なんですね、昔から。

 今年は神事を除いて、ほぼすべてのお祭りが「無し」。




 暑さもさることながら、この感染症の騒ぎ。


 早く鎮まってほしいものであります。
 

   (善)



 

屋台は世界遺産に?

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さて、長らくご無沙汰してました。



 あっという間に本年も年の瀬。

 今年は一つおもしろい話題がありましたね。


 「山車・山鉾・地車・屋台」などの祭での「曳きもの」の幾つかが、「世界文化遺産」に登録されました。



 不思議なのは。


 こうしたニュースが流れているにも関わらず、「なんだ浜松はスルーかよ」という議論が起こらないところです。


 祭で用いる「曳きもの」。

 「曳きもの」を用いる祭で、今回スルーされたのは、「遠州」と「泉州」ではないでしょうか。

 遠州は、祭の盛んな地域です。
 毎年のように、どこかの屋台が新造されています。

 同じように、岸和田に代表される「地車」(だんじり)。
 こちらも、いまだに新造を続けている、と聞いています。


 現役で屋台の類が再生産されている地域は、この二つではなかろうか。

 いずれも「現役の」祭だ、といって差し支えありません。


 逆に言うと。
 批判を恐れずに申しますと。

 これ以上、進化することのない、「博物館入りしそうな曳きもの」だけが登録されたのでは?



 実態を分析もせずに勝手なことを申しましたが、こういう時に、「浜松はスルーか」という議論が巷か発生して欲しいものです。


 などと、2016年を振り返って。


 2016年12月31日
 


        (善)



 

やればできる・・・?

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はい。


 ワタクシ5月2日の記事で、5日間晴れるかも!?などと書いておりました。
http://takoken.hamazo.tv/e5306895.html


 そして、期待は裏切られ、5日の午後からケッコウな雨。やってくれるぜ。


 翌6日は、いい風いい天気。見事な片付け日和だったよ。まったく。

 続いて、7日・8日・9日・10日と、晴れまくっとるね。



 なんでキミたちは、5月の3・4・5に合わせて晴れないの?

 うまくズレれば、片付けまでキレイにできたんじゃないの?!。

 やりゃぁできるじゃんか!



 と、説教したくなります。


 そして、本日も晴天ナリ。


           (善)




(気象庁HPより 2014年5月11日午前8時)




 

お疲れ様でした

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ご無沙汰しております。


 凧揚祭もひとまず終了しました。

 各町内、片付けも終了されたことと思います。


 結局、雨は降ってしまいました。

 凧前には、今年は1日~5日間晴れるかも!などと書いておりましたが、5日の午後からダメでしたね。


 夜も、中央の統一行動はサッサと中止になってしまい、中央ファンにはさぞかしガックリされたことでしょう。



 しかし、凧は雨に弱いですね。

 なんしょ、竹はともかく、和紙と染料の組み合わせは水が大敵。

 こんなになってしまいます。(いずれも2014年5月5日、凧置場にて目撃)


 東菅原町。
 印が梅鉢紋だけに、梅の実から赤い汁が出てきたような・・・。


 こちらは松城町。




          (善)





 

田端義夫さん

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田端義夫さんが逝去されましたね。



 戦中から活躍していた大ベテラン。1919(大正8)年の元日生れだとか。




 「梅と兵隊」とか「かえり船」とかが有名ですが、戦後の浜松の(今で言う)ご当地ソング・「浜松夜曲」の歌い手であったことは知る人ぞ知る、といった感じでしょうか。




 この1979年のパンフレットにも載ってます。





 歌手名は載せていませんが、確かに田端義夫が歌っている「浜松夜曲」。

 おそらく、バタヤンのファンでも知らないかもしれません。



 清水みのるの歌詞と併せて、絶妙な味わいの歌であります。

 3番の冒頭

「問わず語らず 目と目で誘う 月の千歳の街の角」

なんて、花街だった千歳町界隈の情景が目に浮かぶようですよ。

 七五調になっていてゴロもよく。




 いつぞやの並木路子<1945(昭和20年)に「リンゴの唄」を歌った人ね>の葬儀に際して(2001年の事だそうです)、弔辞を詠んだのがペギー葉山、葬儀委員長が田端義夫でした。最後にみんなで「リンゴの唄」を大合唱。

 昭和歌謡界の総決算だなぁと、当時しみじみ感じた次第です。



 その田端義夫さんも逝っちゃいました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



               (善)