第3回公開報告会

カテゴリー │活動案内

ようやく決まりました。






 第3回目は、ズバリ「凧印」。


 浜松の凧揚祭の成立と共に培われてきた図案文化のお話であります。


日 時 :2月9日(日)19:00~21:00
場 所 :田町ハートランド
参加費:5,000円(飲食込み)

申し込みはコチラ
hamamatsu_takoken@yahoo.co.jp
2月2日(日)までにご連絡ください。



       (善)



 

あの感動を・・・

カテゴリー │浜松凧あげまつり

1984年は昭和59年。

 なんと今から30年前なんですね。わきゃァない、というわけです。


 
『浜松凧あげまつり』(1984年、静岡出版)より 中表紙。


 凧の地上からの距離・高さを見るに、開会式の煙火の直後でしょう。今まさに一斉に揚げ始めたところ。

 凧の揺れ具合、凧の張りの強さ、尾っぽの量、旗のなびき方などを見れば・・・、

 「こりゃ風ん強い日だな」と判るわけであります。

 「通」の方ならイッパツで判ります。


 この写真集があったおかげもあって、この年の記憶は長らく私の脳内に保存されておりました。

 さらにこの年、私は熱を出して、5月3日の凧場を休んだのであります。人生で一度きり、凧場に行かなかった日です。
 家の窓から1キロ先の上空の凧を目を凝らしては眺めたもんでした。イナカ育ちだったので。


 そういうこともあって、記憶に残る年なのですが。

5月3日 快晴      西風 強風(ど強い)
5月4日 曇のち晴れ  西風 弱い(テギかければ揚がるよ)
5月5日 曇り時々晴れ 南西の風 弱い(テギかけても腕次第)

 とまぁ、こんなように記憶が保存されております。

 なので、写真をみて、「これ3日だな」とか、わかっちゃうんですね。

 我ながらキチガイぶりを発揮してしまいます。



           (善)



 

著者不明

カテゴリー │浜松凧あげまつり


『浜松凧あげまつり』(1984年、静岡出版)の表紙。



 スグレモノのこの本。1町あたりに1ページを費やして、83町を紹介しております。

 なのですが、著者不明。

 書籍など出版物というのは、それなりの費用をかけなければ作れません。その上、あとから書き換えるわけにもいかない。

 というわけで、誰でも書けて、いつでも削除できるインターネット上の記述などよりも、はるかに情報としての重みがあります。

 そしてその本が何モノであるかは、「奥付」(おくづけ)を見れば分かることになっています。

というわけで同書の奥付。


 通常、資料として他の書籍などを引用する場合、

  著者名(または編者名) 『 書籍名 』 ( 出版社、発行年 )

を明示するルールがありまして、ワタクシも則るように心がけているのであります。


 しかしながら、この奥付によると、「静岡出版」が1984年に発行した、「文書サービス」が制作した、・・・というところまでしか判らんのです。

 「静岡出版」というので「静岡新聞社」の関連かなァと思った時期もあったのですが、「協力」が「中日新聞東海本社報道部」となっていて、静岡新聞関連とも考えにくい。
 「撮影」はその報道部の3人による、ということです。


 浜松市立図書館のデータには、文書サービス編『浜松凧あげまつり』(静岡出版、1984年)とあります。 
https://www.lib-city-hamamatsu.jp/licsxp-opac/WOpacMnuTopInitAction.do?WebLinkFlag=1&moveToGamenId=tifschcmpd

 文章を書いた人が「著者」で、複数の著者による複数の文書をまとめた人が「編者」。

 この場合、奥付の「制作:文書サービス」を、文書サービスが編んだと位置づけたのですね。




 とはいえ、各町紹介の前に2つの寄稿文があり、その著者や文体などから、各ページの著者も想像もできなくもないのですが。


 実は当時の事情やいきさつを知っているぞ、という方。情報お待ちしてます。ぜひ。


                  (善)




 

『浜松凧あげまつり』1984年②

カテゴリー │浜松凧あげまつり

私が当時夢中に読みかじった『浜松凧あげまつり』。

 この本が、どんなだったか、少々ご紹介します。


 1984(昭和59)年当時の凧揚げ参加83町が、1ページごとに紹介されています。


 こんな感じ。

 

 五十音順なので相生町から始まって次が浅田町。



 1メージの内に、町名、写真3枚、紹介文およびその見出し。

 写真3枚はその1984年の3日間の内に撮影されたもの。

 紹介文も凝っていて、

①浜松駅を基点とした位置
②町名の由来
③歴史
④凧印の解説
⑤参加人数や世帯数、揚げた凧の枚数など

が、簡潔に記載されております。当時の小学4年生にも読めました。

 全町必ずしもこの構成ではないにしても、ほぼ同様の内容で、ちょっとした郷土誌を読むのと似た趣きがあります。

 内容は、いささか疑問に思うところなどもありますが、そういうものとして受け止めれば良いでしょう。

 歴代のパンフレットのことを思えば、ずいぶん丁寧な作りであります。
 1町に1ページを充てること自体が大変珍しいことなのです。このまつりでは。
 規模の大きさ故と理解してます。


 なのに、残念なことに。

 著者不明なのであります。


                   (善) 



 

『浜松凧あげまつり』1984年

カテゴリー │浜松凧あげまつり

いつも凧印のデータを引用しているのがこの本。

 文書サービス編『浜松凧あげまつり』(1984年、静岡出版)

 親から渡されたこの本は、それこそ隅から隅まで読み尽くしました。それだけ、凧まつりの情報に飢えていたのです。





 けっこうボロボロな表紙。


 当時、凧あげ参加が83町となっており、新しい町内が急に増え始めたなーと感じた頃でした。

 実際、前年の1983年に5町、この年に5町増えております。


 そして、なぜかこの年、連尺町が載っておりません。何かの都合で凧場に行かなかったのでしょうね。

 この頃まで、旧66町でも、凧は行くけど屋台は出さないとか、凧はやめて屋台だけとか、今年は両方やめとか、何かの事情・都合でやったりやめたりで、なかなか全町は揃わないものだったようです。


          (善)



 

「22時終了」とは

カテゴリー │終了時刻

新年あけましておめでとうございます。

 旧年中は、ずいぶん活動が鈍ってしまいました。本年はもう少し時間を取れればと願っております。




 昨年11月頃に、ブロック会議が召集され、各ブロックを通じて終了時刻の問題についての検討がなされたものと思います。

 「22:00に終了せよ」という話ですね。

 現時点での、現行の「浜松まつり」下において、喫緊の課題となっているものと思います。


 以来、仕事などでお会いする方々からも、いろいろの質問などをされます。

 なんで皆さんそんなに関心があるのかといえば、22:00に終了することなど、今までの慣例から考えて不可能だと思っているから、なんだと思います。

 実際、屋台を21:00に曳き終った(屋台小屋に到着した)として、格納して、子供連にお菓子を配って、照明を落として、余熱を開放して・・・と作業していくと、どんなに頑張っても21:30。

 そこから、初練り、町内廻りとなると、1軒だけ行って帰ってきたとしても22:30にはなってしまうでしょうね。

 そういう、現実的な運営の方法と、規制(許可制限)とが、ぶつかってしまっているから関心を向けざるを得ない、ということであります。


 この、屋台を終了してから初練へ赴く、というのは、戦前の「凧揚まつり」の頃もそういう形だったといいますから、古くから開催している地域では、それなりに根付いたおまつりの形態なのでありましょう。


 この件では、色々な方々からいろいろなご意見を伺いました。

 私も含めて、みんな言いたいことや提案したいことがいっぱいあるのであります。

 もっと時間をかけて、町内でも各ブロックでも、横のつながりの中で大いに議論をして、どこに一致点を見いだせるのか、丁寧に検討をしていく必要があります。

 浜松の人が、浜松のまちのありかたについて、これだけ関心を持っているのですから、これを大事にして、よりよいまつりのあり方、地域のありかたと模索していくことが、「地域自治」の観点からも重要です。

 まずは、町内、そしてブロック、いろいろなところで、じっくり議論をしていける、「場」と「時間」を設けていくべき・・・だろうと、思います。


          2014年 正月2日

                (善)


 年頭からカタくてすみません。


(パンフレット『79浜松まつり』より)