2017年10月09日23:22
遡(さかのぼ)ることが可能
カテゴリー │法被
だいぶご無沙汰をしております。
今週は、遠州各地、秋のおまつりのピーク。
大きなところでは掛川、ほか浜松近在では入野・蒲などなど。
昨日は外食中に蒲神明宮の屋台(丸塚町)に遭遇しましたよ。
祭とは、
地域の青年集団によって担われている祭とは、昨日今日に始まったものではありませんね。
「高度経済成長」という経済拡大。
(1960年代)。
この経済拡大に伴う、地域社会の大変動が発生する以前から。
さらには戦前から。
中断を経てもなお連綿と受け継がれているものがほとんどです。
社会の基盤である経済のありようが変わっているわけですから。
祭の基盤である「村落」や「町内」も大きく変わっております。
農家が主流だった時代の農村の祭。
商店主や職人が大多数だった時代の都市における町内の祭。
そういう時代が50年前まではあったのですね。
20年前までその名残はありました。
社会のありようが大きく変わっている中で、それでもなお継続されている。
という点で、地域の祭は「歴史的な行事」ということができます。
逆に、歴史を無視しては、現代において祭を守り存続していくことは不可能です。
そんなわけで、古くからの祭のアイテムが発見されると、「おおぉ~」と感嘆してしまいますね。
とくに浜松の旧市街地は1945年(昭和20年)にひどい空爆・艦砲射撃を受けております。
(受けた側は「空襲」と呼びます)。
それだけに「戦前から伝わるもの」というだけで十分に貴重。
久々の今回は、現代に残る戦前期の貴重な法被の写真であります。
鴨江町。
大紋:変体仮名の「か」。
腰:「モ」と「エ」
海老塚町
大紋:海老
腰:「A」
山下町
大紋:「山」の字菱に「タ」
総柄:三重立涌(たてわく)
平田町(四つ身)
大紋:隅立檜扇
腰:重ね田の字菱の連なり
新町(今回の新発見)
大紋:石持ちに「だるま」
腰:二重線に輪繋ぎ
「だるま」の「だ」が変体仮名。
大工町
大紋:「大」
総柄:煉瓦格子
松江町
大紋:違い松葉の丸に「松江」の細牡丹文字
腰:変り菱格子に右三つ巴
いずれも藍染。
戦前にも既に硫化染料はあったのでしょうが、発見される法被はほぼ「藍染」ですね。
なにも「江戸で染め」なくても、地元浜松で立派な藍染があったわけです。
また、各町内には、どこかの世帯で、数着は戦前からの法被が残されているはずです。
ぜひ大事に保管して欲しいと願います。
「凧揚祭」において、戦前に遡ることが可能な町内は、限られておりますからね。
(善)
今週は、遠州各地、秋のおまつりのピーク。
大きなところでは掛川、ほか浜松近在では入野・蒲などなど。
昨日は外食中に蒲神明宮の屋台(丸塚町)に遭遇しましたよ。
祭とは、
地域の青年集団によって担われている祭とは、昨日今日に始まったものではありませんね。
「高度経済成長」という経済拡大。
(1960年代)。
この経済拡大に伴う、地域社会の大変動が発生する以前から。
さらには戦前から。
中断を経てもなお連綿と受け継がれているものがほとんどです。
社会の基盤である経済のありようが変わっているわけですから。
祭の基盤である「村落」や「町内」も大きく変わっております。
農家が主流だった時代の農村の祭。
商店主や職人が大多数だった時代の都市における町内の祭。
そういう時代が50年前まではあったのですね。
20年前までその名残はありました。
社会のありようが大きく変わっている中で、それでもなお継続されている。
という点で、地域の祭は「歴史的な行事」ということができます。
逆に、歴史を無視しては、現代において祭を守り存続していくことは不可能です。
そんなわけで、古くからの祭のアイテムが発見されると、「おおぉ~」と感嘆してしまいますね。
とくに浜松の旧市街地は1945年(昭和20年)にひどい空爆・艦砲射撃を受けております。
(受けた側は「空襲」と呼びます)。
それだけに「戦前から伝わるもの」というだけで十分に貴重。
久々の今回は、現代に残る戦前期の貴重な法被の写真であります。
鴨江町。
大紋:変体仮名の「か」。
腰:「モ」と「エ」
海老塚町
大紋:海老
腰:「A」
山下町
大紋:「山」の字菱に「タ」
総柄:三重立涌(たてわく)
平田町(四つ身)
大紋:隅立檜扇
腰:重ね田の字菱の連なり
新町(今回の新発見)
大紋:石持ちに「だるま」
腰:二重線に輪繋ぎ
「だるま」の「だ」が変体仮名。
大工町
大紋:「大」
総柄:煉瓦格子
松江町
大紋:違い松葉の丸に「松江」の細牡丹文字
腰:変り菱格子に右三つ巴
いずれも藍染。
戦前にも既に硫化染料はあったのでしょうが、発見される法被はほぼ「藍染」ですね。
なにも「江戸で染め」なくても、地元浜松で立派な藍染があったわけです。
また、各町内には、どこかの世帯で、数着は戦前からの法被が残されているはずです。
ぜひ大事に保管して欲しいと願います。
「凧揚祭」において、戦前に遡ることが可能な町内は、限られておりますからね。
(善)