8月15日

カテゴリー │歴史

8月15日は「終戦の日」。

 いうまでもなく、日本がかの「アジア太平洋戦争」を「終わらせた」日です。

 カギカッコ書きにするのは、この言い方について、様々な立場で様々なご意見があるからです。

 日本は正々堂々とアメリカと(戦争を)やった、そして負けた。「終戦」とは詭弁で「敗戦」とするべきだ。

 こういう見解を、軍隊経験のある方から聞いたものです。

 歴史的に見て、対外的にはポツダム宣言を受託し、降伏文書に調印をしたのであるから、やはり「敗戦」であり、東京国際軍事裁判を「戦勝国」が一方的に裁いた、とするのならやはり「敗戦国」という位置づけになりましょう。

 ポツダム宣言受託を連合国側へ通告したのは、8月14日だそうですね。8月15日というのは、ポツダム宣言受託(=無条件降伏)を、国内に知らしめた日。サイレンを鳴らして黙祷をする午後0:00の根拠は、1945(昭和20)年の同日同時刻に、いわゆる「玉音放送」がなされた時刻、というわけです。


 戦争の終結のさせかた、その受け容れ方の是非はともかくとして。
 かの戦争が、その前とその後とで凧揚祭のあり方を大きく変えたことは事実、その意味でまさに歴史的事件でありました。


 1938(昭和13)年から1945(昭和20)年まで、実に8年間(全体としては開催されなかった翌1946(昭和21)年まで含めれば9年間)、凧揚祭は取りやめていたのでした。

 1940(昭和15)年は、神話上の初代天皇である神武天皇が即位してから2600年ということで、当時は国を挙げて「紀元2600年」を祝した、との事ですが、この時に例外的に屋台を曳いたことが写真などに残っています。

 浜松は地方都市としては最も空爆の激しかった都市であると聞いております。浜松を攻撃目標としない場合でも、落とし残した爆弾を天竜川と浜名湖の中間に位置する浜松へ落としたからだそうです。浜松そのものを狙った攻撃で最大のものは、6月18日未明の攻撃(「浜松空襲」)との事です。

 これにより、今でいう「重要文化財」相当に指定されていた五社神社・諏訪神社はじめ、鴨江寺・龍禅寺など、多くの貴重な建造物・瓦屋根の町並み・各町の名士が競い合って建てた屋台もそのほとんどを失いました。

 特に五社神社と諏訪神社は、大修築による復元作業を終えた直後に6月18日を迎えた、と聞いております。もったいない。

 今でこそ、五社神社と諏訪神社は合併されて「五社神社諏訪神社」となっていますが、戦前は現在の教育文化会館(旧市民会館)のところ(つまり五社神社の南隣)に諏訪神社があり、2社が荘厳な社殿を連ねており、そりゃもう見ごたえがあったとのこと。
 伝馬町の東海道筋からそれぞれのお宮に伸びる通りが「五社小路」「諏訪小路」と呼ばれている所以です。

 歴史はそうなる必然があったからこそそうなった、つまり「歴史に“もしも”はない」というわけですが、「もしも東京大空襲でやめていたら」とか「もしも沖縄戦で・・・」とか「サイパン島陥落で・・・」とか。
 なにも焼かれるまでやらんでもねー・・・とついつい思いたくなってしまうのです。


 「やめるにやめられなかった」という状況を作り出した原因は何だったのか、今回の震災に伴う「自粛ムード」の根底にあるものと同じもののような気がしてならない、ということを考えつつ。


                            (善)



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