2013年04月26日23:45
田端義夫さん≫
カテゴリー │時事
田端義夫さんが逝去されましたね。
戦中から活躍していた大ベテラン。1919(大正8)年の元日生れだとか。
「梅と兵隊」とか「かえり船」とかが有名ですが、戦後の浜松の(今で言う)ご当地ソング・「浜松夜曲」の歌い手であったことは知る人ぞ知る、といった感じでしょうか。
この1979年のパンフレットにも載ってます。
歌手名は載せていませんが、確かに田端義夫が歌っている「浜松夜曲」。
おそらく、バタヤンのファンでも知らないかもしれません。
清水みのるの歌詞と併せて、絶妙な味わいの歌であります。
3番の冒頭
「問わず語らず 目と目で誘う 月の千歳の街の角」
なんて、花街だった千歳町界隈の情景が目に浮かぶようですよ。
七五調になっていてゴロもよく。
いつぞやの並木路子<1945(昭和20年)に「リンゴの唄」を歌った人ね>の葬儀に際して(2001年の事だそうです)、弔辞を詠んだのがペギー葉山、葬儀委員長が田端義夫でした。最後にみんなで「リンゴの唄」を大合唱。
昭和歌謡界の総決算だなぁと、当時しみじみ感じた次第です。
その田端義夫さんも逝っちゃいました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
(善)
戦中から活躍していた大ベテラン。1919(大正8)年の元日生れだとか。
「梅と兵隊」とか「かえり船」とかが有名ですが、戦後の浜松の(今で言う)ご当地ソング・「浜松夜曲」の歌い手であったことは知る人ぞ知る、といった感じでしょうか。
この1979年のパンフレットにも載ってます。
歌手名は載せていませんが、確かに田端義夫が歌っている「浜松夜曲」。
おそらく、バタヤンのファンでも知らないかもしれません。
清水みのるの歌詞と併せて、絶妙な味わいの歌であります。
3番の冒頭
「問わず語らず 目と目で誘う 月の千歳の街の角」
なんて、花街だった千歳町界隈の情景が目に浮かぶようですよ。
七五調になっていてゴロもよく。
いつぞやの並木路子<1945(昭和20年)に「リンゴの唄」を歌った人ね>の葬儀に際して(2001年の事だそうです)、弔辞を詠んだのがペギー葉山、葬儀委員長が田端義夫でした。最後にみんなで「リンゴの唄」を大合唱。
昭和歌謡界の総決算だなぁと、当時しみじみ感じた次第です。
その田端義夫さんも逝っちゃいました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
(善)
この記事へのコメント
今年の凧場では是非とも流してほしいですね。
Posted by Y at 2013年04月27日 06:38