『’81浜松まつり』③

カテゴリー │パンフレット1981

続きまして1981(昭和56)年のパンフレット第3弾です。

表紙めくって最初の見開き。向宿町。
『’81浜松まつり』③
 凧場は、拡張前だから今より狭いはず。写真の撮り方もあると思いますが、広々とした感じ。
 広告は春華堂とこぎく。電話番号の局番が2桁だったり、価格表示に消費税が無かったり(消費税は1989年以降なので)。

次のページ。千歳町のテギ、遠くに揚っているのは・・・。
『’81浜松まつり』③
 池町の子供連、伊場町の屋台、鍛冶町通り。

 凧あげの時間が「12:30〜16:00」。この時間帯の時期がしばらくあった。最近になって「11:30〜15:30」さらに「11:00〜15:00」になったように記憶してます。屋台も、「3日各町内、4日5日市内」。

そして見開き3ページ目。左ページのパレードの写真、どこの通りじゃろ。
『’81浜松まつり』③
 中沢町。現行の黒の法被と先代の茶色法被とが混在。この茶色法被はまだ撮影できていませんね・・・。家紋が丸に「凧」って。そして馬込町。

                    (善)


 ◆浜松凧揚祭研究会「第1回報告会」◆
http://takoken.hamazo.tv/e3362101.html
2月12日(日) 13:30〜 Uホール2階です。


※12月1日の「浜松まつり総会」についてはコチラをご覧ください。
http://takoken.hamazo.tv/e3369918.html



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この記事へのコメント
感想です
①広く感じるのは今で言う軍団・○○隊がいないからでは。
パッと見た感じ西側から東を写した写真。八幡様もそうだけど、松って成長早い

②この子もしかして素手?ラッパを持っている子がいない。
後ろに立つお父さんの、前を合わせない帯の締め方とドンブリのはみ出し具合が安心感を感じます

③馬込の穴の抜き方が凄すぎ
Posted by nava at 2011年12月21日 01:33
コメントありがとうござる。

 確かに、あの頃はまだ「ラッパ手」はいても組に1人か2人か、というくらいでしたね。間違っても「隊」なんぞは無かった。

 凧を揚げる、合戦をする、以外の人が法被を着る、ということをしなかったのでは。逆に言うと、法被は着てるけど・・・という人が、昨今は山のようにいる感じがします。
Posted by 善 at 2011年12月21日 23:59
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