5日間だった頃

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凧まつりはホントは5日間だった。


 ・・・との話は、どこの町内でも上の年代の方々の口から聞いたことがあるはずです。


 1963(昭和38)年から3日〜3日間に短縮されたそうです。


 現在の現役の我々が「5日間」と聞くと、ものすごいエネルギーを要することのように聞こえます。実際、そういう話をすると、5日間もカラダがもたん・・・という話になりますね。


 しかし。

 5日間当時は、今ほど朝早くから揚げていないですね。


 聞くところによると・・・


 例えば、戦後でも、1日2日4日は「旗日」ではありません。つまり学校や会社がある「平日」だった、というわけです。


 当時の小学生・・・今の60才以上の方々によれば、この1日2日4日は小学校へは2時間だけ行ったそうです。

 2時間目が終わると、「お祭りだから帰んなさい」てなもんで、男の子は家に帰り法被に着替えて、町内の集合場所から練兵場まで駆け足で向い、昼前に陣屋へ到着、桜飯の「おにぎり2個」と「たくあん2枚」をもらって「あれがまた美味かった」という話になる次第。

 そこから凧合戦の始まり・・・という事みたいです。


 当時は凧揚合戦 1:00〜5:00 などとなっていた模様。

 今ほど朝が早くなったのはいつごろからのことなのか、また色んな方々のお話をお聞きする必要がありますね。


                             (善)

パンフレット『浜松まつり84』より
5日間だった頃



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この記事へのコメント
今は3日間ですら住民の理解が得にくい時代。
5日間"だけ"なら、とか言われてみたい
もんです。(笑)
Posted by でんすけ at 2012年02月23日 14:06
市街地であればあるほど集合住宅が多いですからね。


 区画整理や再開発も、住民の「濃さ」が「薄まる」と言う点で、地域社会にとって考えさせられる問題です。


 でも、4月になればお囃子やラッパ太鼓の音が聞こえてくるのも浜松の地域性。

 この点は、他所か来られた方々にも理解していただかねばなりません。

 「浜松に住む」とはそういうことなのであります。
Posted by 善 at 2012年02月23日 20:24
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    コメント(2)