「初子」か「初」か②

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80年代の体験というのは、貴重な体験でした。

 自分がちょうど子供時代だったからというだけではありません。そのあとの90年代に入り、それ以前の風景がガラリと変わったように思えるからです。簡単にいうといわゆる「バブル」の前と後。

 浜松駅前バスターミナル完成が1983年。電車線の高架化とそれに伴う松江町にあった「遠州馬込駅」の廃止が1985年、東地区土地区画整理に伴う都市改造が90年代以降。アクトシティ浜松完成が1994年。中央では、イトーヨーカドー開店・遠鉄百貨店開店・メイワン開店、ニチイが閉店してパチンコ店に。
 つまり戦後的雰囲気をわずかに残していた最後の風景といえばよいのでしょうか。厳密には「戦後」のあとに「高度経済成長」という変動期があるのですが。

 それらがガタガタガタっと崩れ去ったのが90年代の「バブル」期の変動でした。


 そのころから、凧揚祭が何かと各種メディアに取り上げられるようになった。『タウン情報はままつ』の別冊『浜松まつり』シリーズは1989年~1996年。NHKの衛星放送「ふるさとのナントカ…」で4時間の生放送が入ったのが1990年(柳生博・五大路子・伊奈かっぺいらがゲスト出演、故伊藤誠一さんや故堀尾肇さんが解説、大雨の年でした)。

 80年代前半までは、地方紙が特集を組んでも、今ほどの紙面は割かなかったし、そもそも、地元の祭を活字にする、文字で表現する、ということ自体が稀であったように思います。

 だいたい、80年代の新聞記事でもテレビでも、こちらからすると「解ってないなァ」と思える表現が多かった。そもそも「凧」も常用漢字じゃなかったのかなんなのか、カタカナ表記が多かった。「糸を切りあうタコ合戦」という表記。カタカナの「タコ」はなんともマヌケ。


 そんな中で、従来の「家」意識の中にあった「初節句」「初祝い」が、急速に薄れて、どういうわけか「子供の誕生祝い」にシフトしていったのでしょう。一世一代の「初」というオモムキはなくなりましたね。
 「初節句を迎えた家のお祝い」=「初祝い」から「赤ちゃん誕生パーティー」=「初子祝い」に変化してしまったというわけです。

 「なんか祭がイベント化した」と感じる要素はこんなところにもあるのかもしれません。

                                (善)



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