終了時刻ばかりではあるまい②

カテゴリー │終了時刻

当ブログでは、素朴で荒々しかった「凧まつり」が変わっちゃった時期 が、90年代頃と考えております。


 現在のまつりの変貌ぶりを確認するための鏡として、80年代を引き合いに出したりしてます。

http://takoken.hamazo.tv/e5211912.html(14年3月21日、「終了時刻ばかりではあるまい」)
 前回(↑)は、「地域人口の流動化」と終了時刻の問題を絡めて考えましたが、今回はまつりそのものの変化を見てみたいと思います。



 80年代のような「青年」の威勢の良さは、現在には求めにくいものがあります。


 当時の姿といえば…、

現在よりも法被を着ている人の数は、よほど少なかった。

町内の数も少なかった(70町前後)。

ラッパを持っている人なんて、ほとんどいなかった。

提灯の数も少なかった。

・・・こんな感じ。


 でも、青年連は威勢が良かった。迫力があった。


 たとえば今では、ラッパの本数も異常なくらいに増えています。


 つまり、終了時刻は変わっていなくても、「まつりの演出のされ方」はだいぶ変わってしまっている、というのもまた事実。

 当時は、町内の青年が地元で威勢良く練っている、それが深夜に及んだところで、年長者から「お前らほどほどにしとけよ」と注意されこそすれ、警察にまで苦情が上がるということは、それほどなかったのだろうな、と推測してしまうのです。


 翻って、今のまつり、「参加者」の数も増え、どこの町内も外部参加者がやたらに多い、という現実。



 人数は多いのに、練り方を知らない、摺足ができない(歩いているだけ)、掛け声がだらしない(「威勢がいい」のではなく「がなる」だけ)。

 よって、迫力もなければ美しさもない。

 なのに、ラッパと太鼓の数だけは多い。



 そりゃね、文句言いたくもなるワイ。「しっかりすり足ができてないから取り締ってくれ」などと通報はしませんが。


 なんですり足の一つもできないのに法被着て来るの?って。

 当時は、練りが近づいてくる様子を、「ワッチョピッピが来たに!」と言ったもので、掛け声と笛(呼子)の音がメインで、ラッパや太鼓はそれほど重要じゃなかった。


 「凧まつり」から、「凧まつりらしさ」が消え失せている、というのも現状であります。

 地域住民の理解が得られにくいとしたら、こんなところも見直すべきではなかろうか?



               (善)




 そうだそうだ!という方々、コメントお待ちしてますよ。


終了時刻ばかりではあるまい②
パンフレット『81浜松まつり』より



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